池田勝正
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池田 勝正(いけだ かつまさ、生年不詳 - 天正6年(1578年))は戦国時代 (日本)から安土桃山時代の人物。池田長正の嫡男。池田知正の兄。八郎三郎。筑後守。
1563年、父・長正の死去によって家督を継ぐ。この頃の池田氏は三好氏に属していたが、翌年の三好長慶の死去によって三好氏が弱体化すると家臣団が内部分裂し、長正は三好氏に属して松永久秀に味方する伊丹親興と戦った。
1568年、織田信長が足利義昭を擁して上洛してくると三好氏に属して抗戦したが、敗れて信長に降伏し、その家臣となった。信長はこのとき、摂津国の有力豪族である池田氏などを臣下に置いて摂津国支配の安定を図ろうと考え、勝正、伊丹親興、和田惟政ら3名に摂津支配を任せたため、勝正らは「摂津の三守護」と称された。
1570年(元亀1)に金ヶ崎の戦いで木下秀吉や明智光秀らを率いてしんがりをつとめ、信長を無事に逃がす功を上げた。しかし、同年池田氏内部で内紛が起こって勝正は追放された。そして足利義昭や細川藤孝を頼った後、有馬氏を頼って落ち延びたという。