津島美知子
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津島 美知子(つしま みちこ、1912年1月31日 – 1997年2月1日)は作家太宰治の未亡人。旧姓石原。「十二月八日」「家庭の幸福」など、太宰による複数の短篇に登場したことでも知られる。
石原初太郎・くらの四女として島根県那賀郡浜田町(現在の浜田市)に生まれる。父の初太郎は山梨県出身の地質学者で、当時島根県の中学校で校長を務めていた。
父の転勤に伴って山形県や広島県を転々と移り住んだが、1922年、父祖の地である山梨県に戻り、山梨県立甲府高等女学校在学中、1931年2月に父初太郎を失う。1933年に東京女子高等師範学校(お茶の水女子大学)文科を卒業。同年から山梨県立都留高等女学校で教壇に立ち、地理と歴史を教える傍ら、寮の舎監を兼任。
1938年8月、太宰治こと津島修治との縁談が持ち上がり、東北から北海道を旅行。8月7日、青森で太宰の作品集『虚構の彷徨』を購って読み、その才能に眩惑される。同年秋、太宰から処女作品集『晩年』を贈られて読む。同じ頃、『新潮』で短篇「姥捨」を読む。
同年9月18日、太宰と見合いをおこなう。1939年1月8日、東京杉並の井伏鱒二宅にて太宰と結婚。
1941年6月8日、長女園子を生む。1942年、太宰が美知子をモデルにして、女性の一人称による短篇「十二月八日」を書き、『婦人公論』2月号に発表。
1948年6月、太宰が死去。1948年12月、大家から立ち退きか買い取りかの二者択一を迫られて東京都北多摩郡三鷹町(三鷹市)を去り、東京都文京区駒込曙町(本駒込1丁目)に転居。
1949年8月、文京区駒込蓬莱町(向丘2丁目)に転居。1958年8月、文京区駕籠町(本駒込6丁目)に転居。
1964年、園子がのちの衆議院議員上野雄二(当時、大蔵省から外務省に出向)を婿に迎える。