津村謙
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津村謙(つむらけん、1923年12月12日 - 1961年11月27日)は、富山県下新川郡入善町出身の歌手。男性。本名、松原正(まつばら・ただし)。
1943年(昭和18年)テイチクからデビューしたが、まもなく徴兵される。1946年(昭和21年)、戦時中に発表され一世を風靡した映画「愛染かつら」の主人公津村浩三の津村と、それを演じた俳優上原謙の謙を取って、芸名を津村謙として再デビュー。
しばらくヒットに恵まれなかったが、1951年(昭和26年)に、「上海帰りのリル」が大ヒット。一躍大スターになる。この曲は、1957年に松本清張が「別冊・文藝春秋」に発表した「操作圏外の条件(現在は「宮部みゆき責任編集・松本清張傑作短編コレクション・上巻に収録」にモチーフとして使われており、発売後6年経過した時点でも、人々に口ずさまれていたことがわかる。「上海帰りのリル」の大ヒットに便乗して、他社からもリルと銘打った楽曲がいくつか発売されたが、「上海帰りのリル」を超えるリルソングは生まれなかった。なおリルとはmy little daringの略であるとされている[1]。
その後、「リルを探してくれないか」、「紅椿の歌」、「東京の椿姫」、「待ちましょう」「あなたと共に(吉岡妙子とのデュエット)などのヒット曲を歌い、端正な風貌と、声楽家になってもいい美声で、「天鵞絨(びろーど)の歌声」のニックネームがあった。
NHK紅白歌合戦にも1952年から1958年まで8回連続出場している。1961年11月27日、東京都杉並区の自宅車庫にエンジンを入れたまま停めてあった乗用車の運転席で、排気ガスによる一酸化炭素中毒で昏睡状態になっているところを家族に発見され病院に搬送されたが、意識が快復しないまま同日死去。享年37だった。