浅井美幸
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浅井美幸(あさいよしゆき、1927年8月25日 - )は、日本の政治家。衆議院議員。東京都出身。
- 1948年 東京歯科医専(現・東京歯科大学)を卒業。
- 1967年 公明党の衆議院初進出となる衆院選に旧大阪2区より出馬し初当選し2月に誕生した竹入義勝委員長の下で国会対策委員長に就任。
- 1969年 国対委員長を渡部一郎に譲り退任する。
- 1970年 竹入委員長を団長とする『第1次公明党中華人民共和国訪問団(訪中団)』に参加し副団長に就任。
- 1971年から72年の田中角栄首相自民党総裁の中国訪問にまでに第2次、第3次の訪中団として日中の架け橋となる。
- 1989年 リクルート事件絡みの矢野委員長の明電工事件発覚に伴い執行部の責任を執って副委員長を辞任し公明党の役職から外れる。
- 1993年 政界引退。
- 1998年 竹入元委員長の『55年体制回顧録』を市川雄一元書記長の主導で二宮、多田、大久保直彦、黒柳明、近江巳記夫、権藤恒夫、長田武士等と竹入批判を展開する。