渡辺正和
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渡辺正和(わたなべ まさかず、1966年4月12日 - )は、平成期(1990年代後半-2000年代前半)の福岡ダイエーホークスに所属したプロ野球選手で、ポジションは投手である。 現在は福岡大学スポーツ科学部助手。
左投げ左打ち。佐賀県佐賀市出身。血液型はA。愛称はなべじい。現役時代の背番号は28番。眼鏡を着用していた。
[編集] 来歴・人物
- 佐賀市に佐賀県職員の父のもと出生。ただし父は幼少時に病死、以降厳格な母の手一つで育つ。
- 渡辺が後述する経歴(学歴)を辿ったのは堅実かつ安定した生活を望んだ母の意見・希望の反映であった。
- また渡辺には高卒時・大卒時にもプロからの勧誘があったが、いずれも母の猛反対で烏有に帰し、1992年の指名の際もプロ入りか非かで相当母子間で意見の一致に至る迄に時間がかかった。
- 佐賀西高校→筑波大学→東京ガスを経て、92年のドラフト会議でダイエーに5位で指名され、入団。
- 左のスリークォーターから投げられる、スライダーと落差のあるスクリュー、抜群のコントロールが武器だった。
- 貴重な左腕として期待されるも、入団後7年間はケガなどで振るわず、年末には毎年の様に整理要員として名前が挙がっていた。背水の陣の2000年には、60試合に中継ぎとして登板。防御率2.54という好成績を残し、チームの優勝に貢献。全国ネットのスポーツニュースでも、それまで一切活躍の無かった選手が大活躍したとあって「中年の星」として取り上げられたこともある。同年の日本シリーズでも読売ジャイアンツの好打者を次々に打ち取り、2戦目では勝利投手になる活躍を見せた。
- 2001年には48試合、2002年には57試合、2003年には46試合と、4年間で211試合に登板。ホークス自慢の「勝利の方程式」の一角として、活躍した。
- 2003年、球団が資金面で苦戦していたこともあり、戦力外通告を受け、現役続行を目指したがこの年限りで引退。
- 進学校として有名な佐賀西高校、国立の筑波大学を卒業している。その後も東京ガスに就職しており、安定した経歴を持つ異例の野球選手である。野球選手には珍しく、大学卒業時には研究に研究を重ねた卒業論文を提出している。現役引退後も、教職資格の取得などのために福岡大学大学院に入学している。
- 現在はプロ野球マスターズリーグの福岡ドンタクズに在籍。また、ゲスト出演の形でKBC九州朝日放送やJ SPORTSなどで解説を行っている。
- 2006年には母校の佐賀西高校で教育実習も終え、6月に教員免許も取得した。
- 2007年3月に福岡大学大学院修士課程を修了し、4月より福岡大学スポーツ科学部助手になった。また同大学の野球部投手コーチも務める。
[編集] 通算成績
- 試合数 - 264
- 勝利 - 15
- 敗戦 - 9
- セーブ - 1
- 投球回 - 301 2/3
- 奪三振 - 177
- 自責点 - 140
- 防御率 - 4.18