源頼季
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源頼季(みなもと の よりすえ、生没年未詳)は、平安時代中期の武将。源頼信の三男で信濃源氏・井上氏族の氏祖。従五位下掃部助。乙葉三郎、井上三郎と称した。後、出家し、乙葉入道と称した。法名行増。
兄弟に頼義、頼清、頼任、義政らがある。 兄・頼清と共に信濃に所領を得て、信濃源氏を形成する(頼清は村上氏の始祖)。子に、井上三郎太郎家季(満実、満光)、従五位下讃岐守源光明がいた。
[編集] 概略
河内源氏初代源頼信の三男として河内国石川郡壷井(現大阪府羽曳野市)に生まれ、当初近江国に本拠を置いていた。しかし、長元元年(1028年)、関東の下総で平忠常の乱が勃発。父の頼信は、乱を平定して東国に勢力を張った。 その功績を以って三男である頼季も信濃に封を得て、嫡男満実とともに長久年間に高井郡井上(現長野県須坂市)に移住し、地名をもって名字とし井上頼季と名乗り井上氏の祖となった。
源氏の中でもいち早く信濃に入ったたため、信濃源氏の祖とされる。頼季は井上に土着し井上郷の開発を進め、米持・高梨・須田氏らの同族を周囲に配し、これらは井上氏族と呼ばれている。
つづいて、前九年の役(1056年~1062年)で長兄の源頼義が出陣すると、頼季・満実父子も従軍したとされている。
ちなみに余談であるが、子孫は信濃に勢力を持ち続ける一方で、庶流は安芸や播磨に所領を得て移住した。そのことが井上という苗字が関西や西日本に多い理由とされている。
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