源高明
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源 高明(みなもと の たかあきら、延喜14年(914年) - 天元5年12月26日(983年1月17日))は、平安時代の貴族。醍醐天皇の第10皇子。母は源周子。法名は覚念。京都右京四条に壮麗な豪邸を建設し、「西宮殿」とも呼ばれた。同母姉妹に勤子内親王、雅子内親王ほか。
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[編集] 生涯
920年、7歳で臣籍に降下し、源の姓を賜る。939年、26歳で参議に昇進したのをはじめ、義父藤原師輔の支援を受けて順調に出世した。968年には55歳で左大臣に任ぜられるが、翌969年、娘婿の為平親王を奉じ、謀反を起こすという源満仲の密告により、大宰権帥に左遷される(安和の変)。これは、師輔の死後、高明と確執を深めていた藤原氏の策謀であったとされる。この処分を受けて即日出家し、大宰府へ赴く。
971年、許されて帰京するも、政界に復帰することは無く葛野に隠居。982年、69歳で没。
有職故実書『西宮記』(さいきゅうき)を著した。
[編集] 系図
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(60)醍醐天皇 |
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(61)朱雀天皇 |
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広平親王 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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(62)村上天皇 |
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(63)冷泉天皇 |
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(65)花山天皇 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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兼明親王 |
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致平親王 |
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(67)三条天皇 |
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敦明親王(小一条院) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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(源)高明 |
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為平親王 |
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禎子内親王 (後三条母、陽明門院) |
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(64)円融天皇 |
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(66)一条天皇 |
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(68)後一条天皇 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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昭平親王 |
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(69)後朱雀天皇 |
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(70)後冷泉天皇 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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具平親王 |
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(源)師房 〔村上源氏へ〕 |
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(71)後三条天皇 |
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[編集] 妻室
- 藤原実頼女(?-947)
- 藤原師輔三女(934-962)
- 愛宮(941-?) - 藤原師輔五女(母:雅子内親王)
- 源泉女
[編集] 子女
- 源忠賢
- 源致賢
- 源惟賢
- 源俊賢(959-1027)
- 源経房(969-1023)
[編集] 著作
- 『西宮記』 当時の儀式・年中行事の式次第・内容を詳細に記した有職故実書。平安時代中期の宮中儀礼の様子を知ることが出来る一級史料である。
[編集] 関連項目
- 源氏
- 醍醐源氏
カテゴリ: 平安・鎌倉時代の皇族 | 源氏 | 914年生 | 983年没