片岡健吉
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片岡 健吉(かたおか けんきち、天保14年12月26日(1844年2月14日) - 明治36年(1903年)10月31日)は、幕末・明治期の政治家。土佐国(現高知県)出身。父は片岡俊平、母は渋谷氏の娘幸。
[編集] 経歴
土佐藩士として戊辰戦争に参戦し、会津若松城攻めで功績があり、中老・権大参事となった。維新後は政府に出仕し、1871年から2年間ロンドンに留学。帰国後に海軍中佐となるが、征韓論に敗れて辞任し、高知に帰る(明治六年政変)。1874年、板垣退助・植木枝盛・林有造らと共に立志社を創設し、初代社長となる。1879年には高知県会の初代議長となった。だが、1ヵ月後に県会議員選挙の制限選挙制に反対して由比直枝・尾崎要・小谷正元と共に辞職した。
1877年6月9日、西南戦争の最中に国会開設の建白書を京都行在所に提出するが不受理となる。同年8月18日に立志社の獄で逮捕され、禁錮100日の刑を受けた。
1880年、第4回愛国社大会の議長を務め、その後河野広中と共に国会期成同盟代表として国会開設の請願書を元老院に提出するがまたもや不受理となる。
1881年、自由党の結成に協力。1887年に保安条例違反で退去命令が出されるが従わず、禁錮2年6ヶ月の刑に処された。1889年に出獄後、1890年に第1回衆議院議員総選挙で当選。以後第8回まで連続で当選した。1898年から死去まで衆議院議長も務めた。日本基督教会高知教会の信徒。
1903年、病没。享年61。
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