物神崇拝
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物神崇拝(ぶっしんすうはい fetishism)とは、資本主義のもとで人々のつくる社会関係があたかもモノとモノの自然的関係によるもののように考えられる転倒性を指摘するために用いられ、マルクス経済学においてとくに重視される概念である。
人間と人間との社会的関係がモノとモノとの関係として、あるいはモノそのものに自然に備わった属性として現われるとき、その社会の人間関係の歴史的特性や本質は隠蔽され、意識の外におかれることになる。このような現象を物神崇拝という。元来は原始宗教において、人が物質的対象に超自然的な力を認め礼拝することを指して物神崇拝というが、ドイツの経済学者カール・マルクスはこの用語を資本主義社会の特殊歴史的な転倒性を暴くための方法概念として転用した。
『資本論』の中でマルクスは、これに商品物神、貨幣物神、資本物神に即して解明している。すなわち商品物神では、労働生産物が商品形態を取ると同時に与えられる価値性質がモノ自体に本来的に備わった性質として幻想される側面が、貨幣物神では、貨幣がその物質的特性ゆえに特別な価値を有し、他のあらゆる商品に対してもともと直接的交換可能性を有するかのように幻想される側面が、資本物神では、社会的生産力が資本固有の生産力と見なされ、資本そのものが利潤さらには利子を生むものとされ、さらに資本・利子、土地・地代、労働・労賃の「三位一体的定式」が常識化される側面が指摘された。しかしこうした幻想は、それを暴けばそこから脱却できるようなものではなく、社会的に人々の行為を律する客観的機能をもつ意識形態であり、現実に資本主義的商品経済を維持し動かす役割を果たしていることに注意しておきたい。