狩野光信
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狩野 光信(かのう みつのぶ、永禄8年(1565年) - 慶長13年6月4日(1608年7月15日))は、安土桃山時代の狩野派の絵師。狩野永徳の長男。
はじめ織田信長に仕え、父永徳とともに安土城の障壁画を描き、その後豊臣秀吉に仕えた。1590年(天正18年)に父永徳が没した後、狩野派の指導者となり、肥後国名護屋城や徳川秀忠の邸宅などの障壁画を作成している。父永徳が推し進めた安土桃山時代の豪壮な大きな画図の様式から脱却し、中世の大和絵を取り入れながら、自然な奥行きのある構成や繊細な形姿の樹木・金雲などを生み出した。光信の画風を継承する門人も多く、光信の画風はその後の狩野派に大きな影響を残した。
[編集] 代表作
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