王毅
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王 毅(おう き、ワン イー、Wang Yi 1953年 - )は、中国の外交官、政治家。現駐日本特命全権大使。
北京出身。黒龍江省に8年間下放された後に北京第二外語学院で日本語を学び、1982年中華人民共和国外交部に入省。1983年の胡耀邦総書記訪日の際に執筆したスピーチが評価される。日本課長、日本大使館参事官、アジア局副局長、同局長、1998年に部長助理(外務大臣次官補)を歴任。助理時代には旧日本軍遺棄化学兵器に関する日本との交渉にあたり、1999年7月30日両国の覚書に調印。2001年3月からアジア担当副部長(外務次官)。六カ国協議での中国代表となり訪米、訪朝。2003年8月27日から北京で開催された第1回六ヶ国協議のホストとして議長役を務める。
日本語、英語に堪能で、日本では会見や講演をしばしば日本語で行う。
[編集] 駐日大使就任後の主な発言
- 2004年12月21日 「トラブルメーカーが戦争メーカーになるかもしれない」―李氏への観光ビザ発給に関して。
- 2005年4月27日 「かつて政府の顔である首相、官房長官、外相の3人は在任中に参拝しないという紳士協定があった」―1985年の中曽根康弘元首相の公式参拝後に取り交わされたと主張。後に個人的な友人であった胡耀邦(当時総書記)を窮地に追い込まないため(中曽根氏は「政争の具に使われないため」と表現したと言われる)、在任中は参拝しないことになったと明らかになる。中曽根氏自身は「大使の記憶違い」と否定している。
- 2005年5月11日 「戦後日本の平和主義は中国の教科書にも書いてあるし、中国人も知っている」―中国の歴史教科書に戦後の日本についてほとんど記述が無いと指摘されて。
- 2006年1月29日 「それは本当にうわさだ」―前年末から秘密裏に帰国し、帰国中に日中関係の冷え込みから対日政策の見直しについて問われ。外交筋では重病、更迭などが噂されていた。
- 2006年8月3日 「隣人の嫌がることを控えることが東洋人の伝統」―「第2回 東京-北京フォーラム」での全体会議の挨拶にて、安倍晋三内閣官房長官(当時)の同挨拶の直後の発言。8月15日の終戦の日の小泉純一郎首相の靖国神社への参拝を牽制。
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