田中秀和
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田中 秀和 | |
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プロフィール | |
リングネーム | 田中 秀和 |
本名 | 同じ |
ニックネーム | ケロちゃん(入社当時カエルに似ているということから名づけられた) |
誕生日 | 1959年1月6日 |
出身地 | 愛知県稲沢市 |
所属 | 無我ワールド・プロレスリング リング・アナウンサー |
田中 秀和(たなか ひでかず、1959年1月6日 - )は、日本のプロレス団体・無我ワールド・プロレスリング所属のリング・アナウンサー。愛知県稲沢市出身。愛称はケロちゃん。父親の転勤で2~3年おきに日本各地を転々とし、高校時代は青森県の弘前市で過ごす。
[編集] 経歴
大東文化大学在学中より、新日本プロレスでアルバイトをし、その後、正社員として入社する。
現在のリングアナウンサーの主流となる紹介方法や言葉の抑揚は、先代のリングアナであった倍賞鉄夫(現・猪木事務所社長、倍賞千恵子・美津子姉妹の末弟で猪木の元義弟)のスタイルに自己流を加えたものであるが、リングアナが目立つという新しいスタイルを作り上げたのは田中だと言える。
ドーム大会などでの試合の前口上は有名で、ファンのテンションを高め、試合を盛り上げる大きな要素のひとつである。ある意味新日本プロレスの象徴的存在と言っても過言ではない。 1987年12月27日両国大会において、度重なるカード変更などでファンの暴動があったときに、リング上で涙を流しながら土下座をして謝ったエピソードもあり、彼が新日本プロレスの一員としてプロレスを、当時の新日本を愛していたことは間違いない。
そのことは、新日本プロレス・プロレス界にとって画期的なマッチメイクである「蝶野正洋対三沢光晴戦」が行われる際、この試合はスポーツ界に対して大きな影響力をもたらすものであるとの信念から、この試合前の前口上において、「K-1!PRIDE!プロ野球!Jリーグ!いいか、よく見ていろ!これがプロレスのパワーだ!プロレスは、絶対に負けない!」と叫んだ。また、「蝶野正洋対小橋建太戦」の際においては「プロレスの誇りと、自信と、夢。プロレスファンよ胸を張れ!そして、しかと見届けよ!」とファンの前で叫んだことからも、近年のプロレス界の凋落ぶりを感じているプロレスファンに対して、改めてプロレスの素晴らしさを訴えようとしていること、プロレスに対しての誇りと自信を強く持ち合わせていることがわかる。同様の田中リングアナならではの前口上は2005年のG1 CLIMAXの開催時にもみられた。
これらの有名な前口上は、プレイステーション2用プロレスゲームソフト「キングオブコロシアム」にも裏技として収録されており、シングルマッチで蝶野正洋と小橋建太、あるいは蝶野正洋と三沢光晴の試合を組むと、試合前の選手のコールの前に実際の会場でのものと同じ前口上を聞くことができる。
しかし彼の新日本プロレスへの強い愛情ゆえからか、新日本至上主義的な思想を感じさせるような盲信振りや、他団体に属する選手・団体そのものを根拠も無く否定することも多く、かつて日本向けのWCWの番組で解説をつとめた際には、WCWの選手を貶したり(新日本に出場している選手は除く)、番組に関係ない新日本の布教に努めたこともあり、彼を嫌悪するプロレスファンもおり(「ケロ」ならぬ「ゲロ」とけなされたりもする)、NOAHの仲田龍リングアナからも苦言を呈されている。
リングアナ以外にも、新日本プロレスのホームページ・パンフレット・週刊ゴングで移動中や試合の無いときの選手達のことを書いたコラム「旅日記」を掲載している。毎年「旅日記」1年分をまとめたものも出版されている。(所属部署の変更で巡業に行けなくなった事と新日本プロレスを退団により現在は一切していない)
2005年5月からは執行役員も務めたが、2006年2月19日の両国大会を最後に新日本プロレスを去った。
フリー転向後最初のリングとなったDDTでは観客から「ケロさん、過去の発言を一言でいいから謝ってください。インディファン一同」と横断幕まで張られた。また、高木三四郎とリングの内外で壮絶な舌戦を繰り広げ、興行の盛り上げに大いに貢献した。その後も元新日レスラーのみを集めたユニット「ケロ軍団」を率いてDDTの興行を盛り上げている。
現在は藤波辰爾、西村修らと共に団体「無我ワールド・プロレスリング」の一員として活動。
そのリングアナとしての技量はプロレス以外からも高く評価されており、新日本プロレス退団後はシュートボクシング興業でもリングアナを務めている。
[編集] その他
- 10年以上前にCDも出している。新日本プロレスのサウンドトラックで、各選手のテーマ曲と同時に選手のコールが収録されている。
- 普段はスーツやボタンスーツで登場するが、大会場(ドーム大会)では貴族風の衣装(オーダーメイド)で登場する。
- 最近アメブロでブログを始めた。旅日記の復活で非常に人気が高い。
- エル・カネックからは「プト」と呼ばれていた。これはスペイン語で「オカマ」の意味。若い頃は女の子のような顔立ちだったためにカネックはそう呼んでいた。