田丸藩
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田丸藩(たまるはん)は、伊勢国(現在の三重県度会郡玉城町田丸字城山四一六)に存在した藩。
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[編集] 概要
田丸は慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いで、東軍に与して西軍に与した九鬼嘉隆を岩出城にて牽制した功績により、戦後に恩賞で2万石を加増されて合計4万5,700石を領する大名となった稲葉道通が立藩した。道通は田丸城改修に尽力したが、慶長12年(1607年)に死去。後を子の稲葉紀通が継いだ。紀通は大坂冬の陣においては松平忠明・西尾光教に従い、夏の陣では本多忠政に従って武功を挙げたため、元和2年(1616年)に摂津中島藩に移され、ここに田丸藩は廃藩となった。
ちなみに田丸はその後、藤堂高虎の津藩領、徳川頼宣の和歌山藩領となった。
[編集] 歴代藩主
[編集] 稲葉(いなば)家
外様。4万5,700石。