畿内
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畿内(きない、きだい、うちつくに)とは、王や皇帝が住む都の周辺の地域を指す。現代風にいえば「首都圏」。本項目では、日本の律令制における畿内について述べる。
[編集] 律令制の畿内
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歴代の皇居の多くがこの地方に置かれた。
以下の順番で列べる事が多い。
又、646年に発せられた改新の詔には、「およそ畿内とは、東は名墾(名張)の横河より以来(こちら側)、南は紀伊の兄山より以来、西は赤石(明石)の櫛淵より以来、北は近江の狭狭波(さざなみ)の合坂山(逢坂山)より以来を、畿内国とす」という畿内の範囲に関する記述がある。
貴族が朝廷の許可もなく、畿内の外に出る事は律令法によって禁じられていたが、畿内の基準は古代から国都が置かれた大和国を基準にしていたために、畿内の北東端・山城国の外れにある平安京遷都以後は平安京から山一つ越えただけの近江や丹波へ出る事が禁じられ、平安京から数日かかる和泉や大和南部の方が規制が緩いという矛盾が生じていたという。
[編集] 近畿地方の畿内
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畿内の五国が近畿地方中部に位置する点から、京阪神と奈良を「畿内」と呼ぶ事もある。
古くから、畿内は日本の首都が置かれた地方として、又日本を代表する大都市圏として発達した地方である。奈良時代まではでは畿内と北九州が、鎌倉時代以後は畿内と南関東が日本を代表する大都市圏となっており、今でも北九州や南関東とは新幹線など高速交通網で結ばれている。
江戸時代には「上方」(かみがた)と呼ばれ、現在では「京阪神」と呼ばれている。「京阪神」は経済用語や俗称としての色が濃いのに対して、「畿内」は歴史地理学用語としての色が濃い。
歴史的には、邪馬台国の所在について、畿内説と北九州説の二説が論争されている。
(※ 畿内の歴史や交通網については、「近畿地方」のページを参照せよ。)
[編集] 関連項目
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