白城あやか
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白城 あやか(しらき あやか、1967年9月27日 - ) は元宝塚歌劇団星組トップ娘役。現在はタレント中山秀征夫人である。
宝塚時代の愛称はあやか,もしくはみき。東京都出身。本名は中山 光希(なかやま・みき,旧姓:木村<きむら>)、身長164センチ、血液型O型。十文字高等学校卒業。
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[編集] 略歴
1986年、宝塚音楽学校入学。74期生。受験時より美貌で注目される。
1988年、宝塚歌劇団入団。『キス・ミー・ケイト』で初舞台、花組に配属。同期に和央ようか,麻乃佳世,森奈みはる,渚あきらがいた。森奈とともに早々から注目を集め、あっというまに娘役スターとなる。
1991年、星組に組替え。組替直後より当時二番手男役スターだった紫苑ゆうの相手役となる。
1992年、『白夜伝説/ワンナイト・ミラージュ』で、紫苑と共にトップスターに就任。息のあったコンビぶりを披露。
1994年、12月の紫苑ゆうの退団後、1995年『国境のない地図』より後任の麻路さきの相手役として引き続き娘役トップスターをつとめる。なおこの公演は阪神淡路大震災のため休止していた宝塚大劇場公演の再開公演であった。
1997年3月31日、『エリザベート』東京宝塚劇場公演千秋楽をもって退団。
退団後も女優としての活動が期待されていたが、1998年に宝塚在団中より交際があった中山と結婚。現在は4人の子供がいる。当初は家事・育児に専念していたが2002年より芸能界での活動開始。タカラヅカカフェブレークの司会や、夫婦揃ってのCMなどに出演した。
[編集] スター像
宝塚在団中は清楚な美貌の正統派娘役であった。正統派男役の紫苑とは息のあった演技・ダンスを披露し、まさに名コンビと言える。
麻路とは歌唱力に問題のあった彼女を支え、見事なダンスシーンで活躍。「パパラギ」の「恋するアイツウ」、「エリザベート」フィナーレのデュエットダンスなどは圧巻であった。
清らかな乙女から、憂いを含む謎めいた美女まで芸域は広く、実力・美貌とも娘役としてのレベルは宝塚史上でも極めて高かった。
[編集] 舞台
[編集] 花組〜星組時代
- 1990年 『秋…冬への前奏曲』 ジゼラ/新人公演:レナーテ(本役:香坂千晶)
- 1991年 『春の風を君に』 新人公演:柳緋玉(本役:ひびき美都)*新人公演初ヒロイン
- 1991年 バウホール公演『美しき野獣』 クララ
[編集] 星組娘役トップ時代
- 1992年 『白夜伝説/ワンナイト・ミラージュ』 フレイヤ姫 *トップ披露公演
- 1993年 『宝寿頌/PARFUM DE PARIS』 *宝塚大劇場こけら落とし公演
- 1993年 『うたかたの恋/パパラギ~極彩色のアリア~』 マリー・ヴェッツェラ
- 1993年 バウホール公演『ラ・トルメンタ-愛の嵐-』 シルヴィア
- 1994年 『若き日の唄は忘れじ/ジャンプ・オリエント!』 ふく
- 1994年 バウホール公演『Shion ~愛の祈り~』 マリア
- 1994年 『カサノヴァ・夢のかたみ/ラ・カンタータ!』 ジャンヌ(マダム・ポンパドゥール)
- 1995年 『国境のない地図』 ベロニカ/ザビーネ(二役) *大劇場再開公演
- 1995年 『剣と恋と虹と/ジュビレーション!』 クリスティーヌ
- 1996年 『二人だけが悪/パッション・ブルー』 アリシア
- 1996年 バウホール公演『武蔵野の露と消ゆとも』 和宮親子内親王
- 1996年 『エリザベート』 エリザベート
[編集] 宝塚退団後
- エリザベート10周年ガラコンサート
[編集] テレビ
2002年4月~2003年3月
- タカラヅカカフェブレーク 司会(~2003年3月)
[編集] CM
- トップ(ライオン)
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