紫苑ゆう
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紫苑ゆう(しおん- 本名:渡辺 奈津子(わたなべ・なつこ) 兵庫県神戸市灘区出身、1959年3月25日-)は元宝塚歌劇団星組男役トップスター、現宝塚音楽学校講師。身長公称169センチ、血液型O型。宝塚時代の愛称はシメ、少女時代からの愛称『ヒメ(姫)』が転じて(本人談)との事。
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[編集] 来歴・人物
タクシードライバーの父と大のヅカファンだった母のもと一人っ子として出生。
「お芝居が好きでもっと勉強したくて」兵庫県立御影高等学校2学年を修了後、宝塚音楽学校受験・合格。1978年同校卒業後、64期生として宝塚歌劇団に入団。月組公演『祭りファンタジー/マイ・ラッキー・チャンス』で初舞台を踏む。同期に女優の秋篠美帆、郷真由加、仁科有理、ひびき美都がいる。
1979年、星組に配属。爽やかな二枚目ぶりがファンの心を掴み、2期上の日向薫と共に正統派男役スターとして人気を集めた。二番手時代から、ドラキュラ、オスカル等さまざまな役を演じた。
1992年、星組トップ日向薫の退団に伴い、星組トップに。白城あやかとコンビを組んで、『白夜伝説/ワンナイト・ミラージュ』でお披露目。
1993年、新築なった宝塚大劇場のこけら落し公演を任される。しかし同年、主演する予定であった『うたかたの恋/パパラギ』の稽古中にアキレス腱を断裂、休演を余儀なくされた。必死のリハビリで東京宝塚劇場公演では復帰、念願のオーストリア皇太子ルドルフを好演した。
1994年、宝塚歌劇80周年記念の年に、『カサノヴァ・夢のかたみ/ラ・カンタータ!』をもって退団。
退団後当初は紫苑本人たっての希望で老人福祉の仕事につき、阪神・淡路大震災などを挟み表舞台から遠ざかっていたが、程なく宝塚音楽学校よりオファーを受け現職・演劇講師職に就任、次世代のスターを育てている。
[編集] 主な舞台
- 「三銃士」(宝塚テレビロマン) アトス
- 「カール・ハインリッヒの青春」(バウホール公演) カール・ハインリッヒ
- 「蒼いくちづけ」(バウホール公演) ドラキュラ
- 「炎のボレロ」 ジェラール・クレマン
- 「TOO HOT!」
- 「戦争と平和」 ニコライ・ロストフ
- 「恋の花歌舞伎」
- 「ディガ・ディガ・ドゥ」 アーサー・キャメロ
- 「誓いの首飾り」(バウホール公演) ドミトリー・パーロイッチ・サーニン
- 「TAKARAZUKA(宝塚をどり賛歌/タカラヅカ・フォーエバー)」(ニューヨーク公演)
- 「ベルサイユのばら」 ハンス・アクセル・フォン・フェルゼン
- 「シャンテ・シャンテ・シャンテ」(バウホール公演)
- 「ベルサイユのばら」 オスカル・フランソワ・ド・ジャルジェ(平成元年の歌劇団NY公演参加の為東京公演のみ)
- 「メイフラワー」 ロバート・トロンプ
- 「宝塚レビュー'90」
- 「シティライト・メロディ」(バウホール公演) モーリス
- 「アポロンの迷宮」 マルセル・ド・モンテスキュー
- 「ジーザス・ディアマンテ」
- 「恋人たちの肖像」 クリストフ2世
- 「ナルシス・ノアール」
- 「グランサッソの百合」(バウホール公演) アントニオ・ルチアーノ
- 「紫禁城の落日」 愛新覚羅溥傑
- 「白夜伝説」 オーディン
- 「ワンナイト・ミラージュ」
- 「宝寿頌」
- 「PARFUM DE PARIS」
- 「うたかたの恋」 ルドルフ
- 「パパラギ」 パパラギ
- 「ラ・トルメンタ」(バウホール公演) ベルナルド・カルデナス
- 「若き日の唄は忘れじ」 牧文四郎
- 「ジャンプ・オリエント」
- 「カサノヴァ・夢のかたみ」 ジャコモ・カサノヴァ
- 「ラ・カンタータ!」
- 「shion~愛の祈り~」(バウホール公演)
[編集] スター像
- いかにも宝塚的な長身・小顔・手足の長さに恵まれたプロポーションに、日本的(あるいは東洋的)かつ気品あふれた顔立ちで貴公子的な役・コスチュームプレイを得意とした。
- オフステージでは姉御肌で多くの後輩に慕われていた。
[編集] 外部リンク
宝塚歌劇団 | |
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劇団統括団体:阪急電鉄 |