白露山佑太
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
白露山 佑太(はくろざん ゆうた、1982年2月6日 - )は、ロシア連邦北オセチア・アラニヤ共和国ウラジカフカス市出身で北の湖部屋(入門時は二十山部屋)所属の現役大相撲力士。本名はバトラズ・フェーリクソヴィッチ・ボラーゾフ(Батраз Феликсович Борадзов)。兄は大嶽部屋の露鵬。最高位は東前頭2枚目(2006年7月場所)。身長189cm、体重136kg、血液型はO型、得意技は右四つ・寄り・投げ
目次 |
[編集] 来歴
ロシア連邦北オセチア・アラニヤ共和国ウラジカフカス市に生まれる。14歳のときからレスリングを始め、16歳の時には世界ジュニア選手権大会で優勝を果たした。18歳から相撲にも取り組み、モスクワ大会の100kg超級で優勝するなどの実績を残した。
2002年2月に兄の露鵬とともに来日し兄と同じ部屋に入門するつもりだったが、規則で外国人力士は一部屋に1人と決まっていたため、兄の露鵬は大嶽部屋、自身は二十山部屋と別々の部屋に入門することとなった。兄の露鵬との関係も良好で来日した際同じ部屋に入門しようとするなど非常に仲のいい兄弟として知られている。四股名の由来は、ロシアの露と元大関の北天佑の親方時代の名前の二十山を合わせて白露山とした。
2002年5月場所で初土俵を踏み、2004年9月場所では十両に昇進し、2005年7月場所に史上初の外国人力士同時幕内力士誕生となり、西前頭14枚目で新入幕を8勝7敗というまずまずの成績を残した。同年11月場所では兄の露鵬とともに10勝5敗で二桁勝利を挙げる活躍を見せた。2006年1月場所は東前頭4枚目で自己最高位であったが、4勝11敗と大きく負け越した。同年5月場所は西前頭8枚目で10勝5敗と二桁勝利を挙げ、自身初となる2場所連続勝ち越しを達成した。同6月23日に入門してからの師匠で元大関北天佑の二十山親方が死去したため、親方の元兄弟子の北の湖理事長の北の湖部屋に移籍した。
翌7月場所では初めて番付で兄よりも上となる東前頭2枚目となるが、足の怪我もあり5日目から11連敗で2勝13敗と大きく負け越し、初の三役となる小結昇進を逃した。9月場所、11月場所も負け越した。そして11月場所では西前頭14枚目で初日から8連敗し、負け続ければ十両陥落も十分に考えられたがその後7連勝という珍しい記録を残した。(ただし7勝中4勝は十両力士との対戦によるものであった。)翌場所は同地位に据え置かれたが、前頭が16枚となったため番付は実質1枚上昇した。なお同場所東前頭15枚目で白露山と同成績の皇司は西前頭16枚目となり、見かけ上は1枚半、実質半枚番付を落とした。このように番付・取組面において図らずも理事長部屋である北の湖部屋への移籍が功を奏した形となった。幕内残留に向けて背水の陣となった1月場所は8勝7敗の成績で元師匠の二十山親方が死去してから初の勝ち越しとなった。しかし翌3月場所では東前頭13枚目で5勝10敗と大きく負け越し、十両への降格が豊富になった。
[編集] 略歴
- 平成14年(2002年)2月 - 来日、二十山部屋に入門。
- 平成14年(2002年)5月場所 - 初土俵
- 平成16年(2004年)9月場所 - 新十両
- 平成17年(2005年)7月場所 - 新入幕
- 平成18年(2006年)11月場所 - 兄の露鵬と共に2桁勝利を挙げる活躍。(2人とも10勝5敗)
- 平成18年(2006年)6月 - 二十山親方の死去に伴い、北の湖部屋に移籍。
- 平成18年(2006年)7月場所 - 初めて兄の露鵬よりも番付が上になる。(露鵬:東前頭3枚目、白露山:東前頭2枚目)
[編集] エピソード
- 兄の露鵬も白露山同様に優しい性格だがイライラしやすい面があるのに対し、白露山は非常に温和で、昔から兄の喧嘩を止めていたといわれている。
- 2006年3月25日より、角界屈指の人気力士高見盛、把瑠都と共に全日空の国際線割引運賃サービス「エコ割」のCMに出演した。
- また二十山親方の告別式では人目を憚らずに涙を見せた。
- 2006年11月場所の星取は●●●●●●●●○○○○○○○で、前頭14枚目で初日から8連敗して十両陥落が危ぶまれたが、九日目から盛り返して7連勝(そのうち4勝は十両力士から)するという珍しい星取となり、十両陥落は辛うじて免れた。
[編集] 幕内での場所別成績
場所 | 地位 | 勝数 | 敗数 | 休場 | その他 |
---|---|---|---|---|---|
平成17年(2005年)7月 | 西前頭14枚目 | 8 | 7 | 0 | 新入幕 |
平成17年(2005年)9月 | 東前頭12枚目 | 7 | 8 | 0 | - |
平成17年(2005年)11月 | 東前頭13枚目 | 10 | 5 | 0 | - |
平成18年(2006年)1月 | 東前頭4枚目 | 4 | 11 | 0 | - |
平成18年(2006年)3月 | 東前頭12枚目 | 9 | 6 | 0 | - |
平成18年(2006年)5月 | 西前頭8枚目 | 10 | 5 | 0 | - |
平成18年(2006年)7月 | 東前頭2枚目 | 2 | 13 | 0 | - |
平成18年(2006年)9月 | 西前頭10枚目 | 5 | 10 | 0 | - |
平成18年(2006年)11月 | 西前頭14枚目 | 7 | 8 | 0 | - |
平成19年(2007年)1月 | 西前頭14枚目 | 8 | 7 | 0 | - |
平成19年(2007年)3月 | 東前頭13枚目 | 5 | 10 | 0 | - |
通算 | 75 | 90 | 0 | - |
[編集] 主な成績
2007年3月場所終了時
- 通算成績:179勝152敗(30場所)
- 幕内成績:75勝90敗(11場所)