益田組
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二代目益田組(ますだぐみ)は、横浜市に本拠を置く日本の暴力団。三代目山口組の2次団体、四代目山口組の2次団体、五代目山口組の2次団体を経て、2006年現在は指定暴力団・六代目山口組の2次団体。構成員は約1280人(最盛期)。
田岡一雄率いる三代目山口組が関東進出を開始した1960年代前半、井志組(組長・井志繁雅)、菅谷組(組長・菅谷政雄)に次いで横浜に拠点を構築。井志組横浜支部が錦政会(後の稲川会)と衝突したグランドパレス事件(1963年3月)の和解条件もあったため、事務所は表向き「麻薬追放国土浄化同盟」の横浜支部として開設された。
初代組長・益田佳於は山口組において、三代目時代の1953年に有名な鶴田浩二襲撃事件で名を上げ、60年代には三代目に娘同然に可愛がられていた美空ひばりの実弟の加藤益夫(芸名は小野透・後のかとう哲也。加藤和也の実父)を若衆に取り込むなどし、1972年には若頭補佐に抜擢される。四代目山口組(組長・竹中正久)では舎弟頭補佐(後に組長代行補佐)、五代目山口組(組長・渡辺芳則)では顧問に就き、長く最高幹部を歴任した。
1989年6月、若頭を務めていた浜尾組組長・浜尾将史が山口組直参に昇格。続いて1992年2月には、旧加茂田組出身で舎弟頭を務めていた大嶋組組長・大嶋 巽も昇格した。
病気療養を続けていた益田が1997年5月26日に病死すると、浜尾の後任若頭として療養中の益田の代理を務めていた島田組組長・島田俊正が2代目を継承。島田は その年の7月、山口組直参に昇格した。
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[編集] 歴代組長
[編集] 最高幹部
- 組長・島田俊正
- 若頭・山嵜昌之(二代目島田組組長)
- 若頭代行・竹本敏行(本牧興業組長)
- 舎弟頭・玉木順三(玉木組組長)
- 本部長・市田眞也(市田組組長)
- 舎弟頭補佐・田村行雄(田村会会長)
- 舎弟頭補佐・佐々木英二郎(佳心会会長)
- 舎弟頭補佐・大塚輝芳(大塚組組長)
- 舎弟頭補佐・中島藤義(中島興業組長)
- 舎弟頭補佐・藤沢卓也(藤沢組組長)
- 舎弟頭補佐・佐藤真之(共真会会長)
- 舎弟頭補佐・雨宮利光(正光会会長)
- 舎弟頭補佐・上田潔(上田会会長)
- 舎弟頭補佐・照井博隆(二代目木村組組長)
- 相談役・大川平三郎(大川組組長)
- 副本部長・信濃哲也(二代目信濃組組長)
- 事務局長・水島秀章(水島組組長)
- 若頭補佐・廣瀬敬之(廣瀬組組長)
- 若頭補佐・河田泰彦([二代目[河田組]]組長)
- 若頭補佐・山室正人(山室組組長)
- 若頭補佐・朝倉達也(朝倉組組長)・組長秘書
- 若頭補佐・村田茂俊(村田組組長)
[編集] 幹部
- 幹部・岩崎博(岩崎組組長)・組長秘書
- 幹部・山土井正光(山土井組組長)
- 幹部・中代茂(中代組組長)
- 幹部・梅田和夫(梅田組組長)
- 幹部・佐山守(佐山組組長)
- 幹部・門傳保司(門傳組組長)・警備責任者
- 幹部・富岡義人(富岡組組長)
- 幹部・妹尾博文(大志會會長)
- 幹部・武田賢(武田組組長)
[編集] 主な出身者
- 若頭・浜尾将史(浜尾組組長) - 後に六代目山口組若中
- 舎弟頭・大嶋 巽(大嶋組組長、旧加茂田組若頭) - 後に五代目山口組若中