相川宗一
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相川宗一(あいかわ そういち、1942年9月13日 -)は、さいたま市長。慶應義塾大学商学部卒業。埼玉県浦和市(現:さいたま市浦和区)出身。
生年月日 | 昭和17年(1942年)9月13日 |
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出身地 | 埼玉県さいたま市浦和区 |
出身校 | 慶応義塾大学商学部 卒業 |
学位 | 商学士 |
前職 | 旧浦和市長(3期) 埼玉県議会議員(3期) 会社員 |
世襲の有無 | 3世 祖父・相川宗次郎(浦和市長) 父・相川曹司(浦和市長) |
在任期間 | 平成13年(2001年)5月28日 ‐ (現職) |
当選回数 | 2回 |
所属(推薦)党派 | 無所属 |
ウェブサイト | さいたま市長 相川宗一 |
1980年から埼玉県議会議員を3期務めた。1991年から浦和市長を3期務めた。2001年5月1日、浦和市・大宮市・与野市との新設合併(さいたま市施行)に伴い失職し、5月27日執行の市長選挙で旧大宮市長などを破り、初当選した。 また、2005年5月15日執行の市長選挙でも再選を果たした。
プロサッカーチームでは、旧浦和市長時代には市内に本拠を置く浦和レッズのファンであることを公言していた。旧浦和市が合併し新市さいたま市の市長に当選してからは、さいたま市に合併した旧大宮市内に本拠を置く大宮アルディージャの存在に配慮して公言は控えている。
さいたま市市長に当選してからの政策では、旧浦和市市域に偏重しているとして市政に強い批判がある。
祖父・相川宗次郎と父・相川曹司は共に、元浦和市長で、親子三代同一市町村の市長となったが、旧浦和市のような大きな自治体で、かつ県庁所在地では全国的にも非常に珍しいものと思われる。(特定郵便局長のように世襲制度がある訳ではないので。)
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- ※1 - 浦和市廃止のため、次代は存在しない
- ※2 - さいたま市発足のため、先代は存在しない(市町村合併から選挙で相川が当選するまでの短期間、合併前の与野市長(さいたま市長選挙不出馬)が暫定的に市長代行のような職務を行なった。)
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