石州和紙
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石州和紙(せきしゅうわし)は、島根県の西部、石見地方で製造される和紙である。1967年に重要無形文化財(石州半紙)、1989年に伝統工芸品の指定を受けている。
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[編集] 概要
紙質は強靱でありながら肌触りは柔らかく、その紙質から障子紙として多く用いられていた。しかし近年は家屋建築の構造の変化により障子紙が用いられることが少なくなったため、文化財修理、書道用紙、賞状の用紙をはじめ様々な用途に用いられるようになっている。
現在は島根県浜田市三隅町を中心に製造されている。
[編集] 原料
主原料
補助材料
- トロロアオイ
など
[編集] 歴史
慶雲、和銅の頃(704年~715年頃)、柿本人麻呂が石見国の民に紙漉きの技術を伝えたと言われている。その後紙漉きの技術は石見国中に伝わり、927年に編纂された「延喜式」にも産紙国43カ国のうちのひとつとして石見国が記載されている。
鎌倉時代頃より石見国を二分する勢力であった吉見氏と益田氏はそれぞれの領地で製紙を活発に行い、その紙が中央に流通していた。江戸時代に入ってからは津和野,浜田両藩において徹底した紙専売制を行い、石州和紙の中で特に石州半紙の名は広く知られた。
初期の頃は様々な材料を用い、紙の大きさも様々であったが、江戸時代に入って材料、大きさともに統一されるようになり、生産性が飛躍的に向上した。
一時期は6377戸を数えるほどであった和紙製造も戦中戦後にかけて急速に衰えていったが、先人から代々伝わってきた技術を守るために1967年石州半紙技術者会を結成、1969年には石州半紙が国の重要無形文化財の指定を受ける。石州和紙製造の技術と伝統は、石州半紙技術者会を中心として現在も受け継がれている。
[編集] ブータン王国との技術交流
1980年代の前半、ブータン王国では上質な紙が不足しており、その多くを海外からの輸入に頼っていた。そこで日本の優秀な手漉き和紙の技術を取り入れ自国で生産する紙の質を向上するべく日本に協力要請がなされた。
1986年にブータン王国より三隅町(現浜田市)に技術研修員を受け入れて以来ブータン王国に手漉き機材を贈るなどの交流が進められ、現在でも交流が続けられている。