砂子塾長
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砂子塾長(すなこじゅくちょう、本名:砂子 智彦(すなこ ともひこ)、1964年11月6日 - )は、東京都出身のレーシングドライバー。
往年の名ドライバー、砂子義一の子として生まれる。1985年、富士フレッシュマンレースでデビューし、その後全日本F3選手権やJSSを始めとする様々なレースカテゴリーに参戦する。1992年からN1耐久(現スーパー耐久)に参戦、1996年にスーパー耐久クラス1でシリーズチャンピオンを獲得する。1997年からは全日本GT選手権(現SUPER GT)にも参戦するが、1998年5月に富士スピードウェイで重傷を負い、しばらくレースから遠ざかることとなった。しかしリハビリに励んだことによって回復、レース復帰を果たし、現在も様々なカテゴリーでレースに参戦し続けている。
的確な分析に定評が有り、テストドライバーや開発ドライバーとしても活躍する他、軽妙なキャラクターや話術から、雑誌記事の執筆やテレビ番組のレポーターなどでも活躍している。また、雑誌記事の企画で「リア駆動男塾」を開催、その場で「塾長」と呼ばれていた事から、現在の活動名の由来となり、1999年にはスカイラインGT-Rユーザー有志によって「GT-R砂子塾 in TOKACHI」が開催、これが発展して十勝・東京・関西において私的ドライビングスクール「砂子塾」を開催するようになった。