秋元義久
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秋元 義久(あきもと よしひさ、? - 永禄8年6月2日)は、戦国時代の上総国小糸城(現在の千葉県君津市)城主。父は秋元義政(一正)とされる。通称は小次郎。
秋元氏は宇都宮氏の一族で、江戸時代に大名となった秋元長朝の同族であるといわれている。地理的関係から里見氏の影響下にあった。
1563年、第2次国府台合戦(前半戦)で里見氏が敗れると、北条氏康の命を受けた千葉胤富らの攻撃を受けるようになる。更に小糸城の西にあった里見氏当主・里見義弘の居城佐貫城が北条軍に奪われると孤立無援に陥った。
義久は激しく抵抗したものの、永禄8年6月2日についに小糸城は陥落して義久は戦死した。