穴吹智
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穴吹 智(あなぶき さとる、大正10年(1921年)12月5日 - )は、日本陸軍の戦闘機操縦者、陸上自衛官。香川県綾歌郡山田村(現綾川町)出身で、最終階級は曹長、二等陸佐。
昭和16年(1941年)3月、太刀洗陸軍飛行学校卒業(陸軍飛行兵第6期生)。戦闘機操縦者として飛行第50戦隊第3中隊付。同年12月、フィリピン戦線に参加。翌年(1942年)4月には戦隊とともに帰国、九七式戦闘機から一式戦闘機に機種改変してビルマに転戦。以後、ビルマ・インド・西南中国、ニューギニア戦域に参加した。昭和19年(1944年)2月、明野陸軍飛行学校付、ビルマ留学生等の操縦教育を担当した、同年10月曹長に進級。フィリピンの戦いの中に四式戦闘機を空輸する危険任務につき、敗戦まで本土防空戦に参加。戦争全般を通じての総撃墜数は51機。陸軍公認撃墜記録では30機。
戦後、昭和25年(1950年)警察予備隊入隊、陸上自衛隊のヘリコプター部隊の指揮官などを歴任し、昭和46年(1971年)に二等陸佐で退官した。日本航空入社、昭和59年(1984年)退社。
[編集] 著作
- 『蒼空の河 穴吹軍曹「隼」空戦記録』(光人社NF文庫、1996年) ISBN 4769821115
- 『続・蒼空の河 穴吹軍曹「隼」空戦記録〈完結篇〉』(光人社NF文庫、2000年) ISBN 4769822928