竜雲
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竜雲(りゅう うん、簡体字:龙云、繁体字:龍雲、ピン音: Lóng Yún, 1884年11月19日-1962年6月27日)は、雲南省昭通県出身。 中華民国の時期の滇軍の将校、雲南省政府の主席。字は志舟、元名は登雲。彝族。彝族名は、納吉鳥梯。
竜雲は、早くから反清闘争に参加し、1911年に滇軍に加わる。1914年雲南軍事講習堂の第4号を卒業、雲南省都督唐継尭の下に入る。唐に下級将校から1歩1歩抜擢されて近衛兵の隊長になり、滇軍の第5軍軍長に至る。1927年、竜雲は、胡若愚などと「2・6政変」に着手、唐継尭を失脚させ、その後胡若愚と雲南の統治権力闘争に勝ち、1928年国民政府に正式に任命されて雲南省の主席になる。彼は、1945年まで統治する間、「雲南王」と称される。
日中戦争時には、雲南省は後方に位置していたが、竜雲は抗日統一戦線を支持し、滇軍二十数万を派遣、日中戦争勝利に多大な貢献をする。
日中戦争勝利後、竜雲は「雲南モンロー主義」を主張して蒋介石と対立、3年間軟禁されたが、1948年12月、陳納徳などに助けられ、竜雲は南京から香港に逃亡、1950年1月の中華人民共和国設立後に北京に戻り、中国共産党の新政府に参加。国防委員会副主席、政治協商会議常務委員、中国国民党革命委員会中央副主席、南西軍事政治委員会副主席を歴任する。1956年にかつてのソビエト連邦、ルーマニア、チェコ、ユーゴスラビアなどの東欧諸国を訪問したが、1957年の反右派闘争で批判され、1962年北京で亡くなる。死後の1980年中国政府が、竜雲は右派でないと正式に宣言して名誉回復される。