篆刻
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篆刻(てんこく)とは、中国を起源としており、印章を作成する行為をさす。主に篆書を刻する(彫る)ことから篆刻というが必ずしも篆書とは限らず、図章の場合もある。また金属(銅・金など)を鋳造して印章を作成する場合でも篆刻という。その鋳型に彫刻を要するからである。書と彫刻が結合した工芸美術としての側面が強く、特に文人の余技としての行為を指す。現代でも中国・日本を中心に篆刻を趣味とする人は多い。
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[編集] 歴史
中国の篆刻・印章の歴史は古く三代(夏・殷・周)に起源があるとする説もあるが確実なところでは戦国時代まで遡ることができる。この時代の墓から古璽が発掘されているが商品経済が発達して信用を保証する実用目的で使用された。このような古印の材質は主に銅が用いられ、繆篆といわれる印章用の篆書で印文が書かれ鋳造(鋳印)された。鋳造であっても鋳型を刻すので篆刻という。鋳造する時間的余裕がない場合には、直接掘り込む鑿印という方法によって作成されたがこれを「急就章」と呼んだ。隋唐になると印文に隷書や楷書・異民族の文字(西夏文字・女真文字・西蔵文字)が刻されるようになった。一般に楷書・行書が浸透したことや国際化が進んだことによる。一方で官印には九畳篆と呼ばれる独特のくねくねと折り曲がる書体が用いられ、宋代まで続いた。唐代になって印章を美術的に論じた文献が散見されはじめ、印章に芸術性が求められるようになる。
このような中で文人の余技としての篆刻(中国では印学としている)は、北宋の米芾が開祖とされる。米芾以前は文人自身が字入れしたとしても刻んだのは専門の職人であった。印材が象牙・犀角・水晶・玉など硬い材質であったためである。米芾は自著『書史』や『画史』の中で治印(印章の作成)について論じており、その印影が粗削りで拙劣である点などから、自ら印材を刻んだ最初の文人と推定される。宋代から盛んとなった文人画は詩・書・画に印章を加えた総合芸術となっており、文人画家である米芾が自ら納得のいく印影を求めたからだと思われる。
米芾の革新的な試みから200年近く経過した元末にようやく趙孟頫・吾丘衍が登場する。書家・画家として有名な趙孟頫は、「円朱文」と呼ばれる小篆を用いた柔和な印を好み、後世に影響を与えた。また吾丘衍の「三十五挙」(『学古編』)は最初に著された篆刻理論書として後進に尊重された。彼らは上古の正しい印法への復古を説いて、唐代から継承される九畳篆の陋習を是正した。しかし、彼らは自ら印を刻むことはしなかったので正確には篆刻家とはいえない。
元末の王冕は花乳石(青田石の一種)という柔らかい石を印材に用いた。これはひとつの発明であり、明代に文人の間に篆刻芸術が広まる最大の功績となった。王冕も漢印から学び自己の風格を持った印を作成した。
明代中期の文彭・何震の二人はもっとも傑出した篆刻家であり「文何」と称され尊敬を集めた。文彭は篆刻に生涯を傾け、漢印の研究を行ってその作風にとり入れ篆刻の発展に尽くした。それまで職人に頼って象牙などに刻させていたが偶然手に入れた凍石(石印材)に自ら刻した後は、二度と他の印材は用いなかったという。この逸話がほかの文人にも伝わり、石印による篆刻が一気に広まったとされる。文彭の弟子の何震は徽派(新安印派)の祖として知られ、その一派に多くの篆刻家を輩出した。蘇宣・梁袠・汪関・朱簡・程邃・巴慰祖などである。徽派は黄山地方(安徽省歙県)を拠点に清代中期まで盛行し各地に拡がった。漢印の正統な作風を基礎に新鮮味を加えた作風であった。
一方、18世紀になると杭州に丁敬を開祖として浙派(西冷印派)が興る。徽派と同じく漢印を基礎としていたが、旧習から脱却し素朴な力強さを特色とした。黄易・蒋仁・奚岡・陳豫鐘・陳鴻壽・趙之琛・銭松など優れた篆刻家が育ち、西冷八家と呼ばれた。
清末期に鄧石如が沈滞する篆刻に革新を行ない晥派(鄧派)の祖となった。繆篆を用いるという旧弊を打破し保守的な復古主義を刷新した。呉譲之などの弟子が育った。また趙之謙は晥派と浙派を総合して新浙派(趙派)を打ち立て優れた功績をあげた。このほか、清末には呉昌碩(呉派)・黄士陵(黟山派)など次々と優れた篆刻家が現れている。
[編集] 意匠
主に篆書を刻することから篆刻という。ただし、甲骨文、隷書、楷書、あるいは肖形(イラスト)を彫ったものも含めることがあり、厳密な定義はない。
[編集] 素材
篆刻に用いる主要な印材は石であるが、竹、骨、牙、植物の種子等を用いることも行われる。印材とされる鉱物としては葉臘石が一般的である。これはモース硬度3.5ほどの比較的柔らかい鉱物であり、特別の技術を要さず容易に加工ができる。これら石印材は朝鮮半島、タイ、ミャンマー、モンゴル、日本にも産するが、産出の質、量、加工技術、流通においてもっとも主要なのは中国であり、浙江省の寿山石、昌化石、福建省の青田石、内蒙古の巴林石などが広く安価に流通している。田黄(寿山石の一つ)、鶏血石(昌化石など)の素材は美麗かつ稀少で、非常に高価であり、軟宝石と称されることもある。篆刻と離れて、印材自体が収集、投機の対象となることも多い。
[編集] 用具
篆刻を行う道具は印刀(篆刻刀、或いは鉄筆)と呼ばれる。篆刻における印刀は、木彫等で用いられる印刀(先端が鋭角で片刃のもの)とは異なる刃物を意味する。篆刻用の印刀は多くの場合両刃の平刀で、直角に研ぎ出された両角を利用して彫る。刃幅は5-20mm程度であることが多い。
[編集] 用途
篆刻作品は書画の落款(サイン)として利用されることが多いが、押捺した印影自体が独立した作品であり、鑑賞の対象である。印影を多数集めた作品集を印譜という。
[編集] 種類
[編集] 形態
- 白文
- 朱文
- 朱白相関
[編集] 用途/内容
- 姓名印
- 引首印(関防印)
- 遊印・成語印・吉語印
- 肖形印
- 花押印
- 蔵書印(収蔵印)
[編集] 形状
- 変形印
- 関防印 引首印
[編集] 著名な篆刻家
[編集] 中国の篆刻家
- 斉白石
- 趙古泥
- 趙叔孺
- 王福厂
- 鄧散木
[編集] 日本の篆刻家
[編集] 関連項目
[編集] 出典
- 沙孟海『篆刻の歴史と発展』中野遵・北川博邦共訳 東京堂出版、昭和63年、ISBN 4490261443。
- 銭君匋・葉潞淵『篆刻の歴史と鑑賞』高畑常信訳 秋山書店<秋山叢書>、昭和57年。
- 銭君匋共著『印と印人』北川博邦・蓑毛政雄・佐野栄輝共訳 二玄社<藝林叢書>選訳Ⅰ、1982年。
[編集] 外部リンク
篆刻用具の基礎知識