絶対年代
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絶対年代(ぜったいねんだい)とは、考古学や地質学において、「前○○世紀頃」とか「今からおよそ△△年前」というふうに具体的な数字で出される年代をさす。
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[編集] さまざまな「年代」
考古学や地質学で一般的に利用される年代には以下のようなものがある。
1.相対年代:相互の新旧関係
2.絶対年代:数字として出される年代
3.理化学的年代:自然科学的方法による年代
4暦年代:究極に目指すべき年代
絶対年代とは、それがまさに絶対正しいという意味ではなく、「他とくらべられない」「他とくらべる必要がない」という意味での「絶対」である。考古学における「旧石器時代」、「弥生時代」など、地質学における「白亜紀」「第四紀」などのような時代区分はもともと、標識となる遺物・遺物群あるいは化石・化石群に由来する相対的な年代(相対年代)であるが、絶対年代では、このような標識を必要とせず、それだけで年代をあらわすことができる。つまり、数字で出される年代である。
[編集] 相対年代から絶対年代へ(考古学の場合)
相対年代は、考古学の場合は遺物・遺構・遺跡の型式から型式学によって変遷の状況をつかみ、層位学によって新旧関係を検証するもので、両者を総合して相互の新旧を決めるものである。そのため、考古学研究および発掘調査が開始された初期の段階では、日本では貝塚、西アジアではテル(遺丘)、ヨーロッパでは洞窟遺跡など、多くの層が積み重なる遺跡が好んで調査された。
今日では、広域テフラ(広域降下火山灰)を利用して広い地域にわたる相対年代を割り出すことが可能となった。降下火山灰の中にはその同定のカギとなる特殊な物質を含むものがあり,その同定を通して日本列島の広い部分を覆う後期旧石器時代の姶良丹沢火山灰(ATテフラ)や縄文時代の鬼界アカホヤ火山灰(K-Ahテフラ)が相対年代を決めていく際の標準になることが判明した。また、より狭い地域に降下する火山灰の同定も飛躍的に進んだため、火山灰相互の新旧関係も精緻化している。これにより、遺構の内外で降下火山灰が検出された場合、その検出地点や検出状況によって、遺構・遺跡と火山灰降下時期との新旧関係、さらに遺構相互・遺跡相互の新旧関係を決めていくことができる。
相対年代は考古学的な調査や研究の基礎になるものではあるが,あくまでも相互の新旧関係を決めるだけにとどまるので、文字資料のある時代(歴史時代)においては、それを絶対年代、さらには暦年代(実年代)に近づける努力が必要である。火山灰のなかには、北日本一帯に降下した十和田a火山灰(To-aテフラ)のように、『扶桑略記』に「延喜15年」(915年)の記事として「出羽国言上雨灰降高二寸・・・」という記載があり、暦年代がはっきりわかっているものもある[1]。
このようなデータを集積し、それまで明らかになっていた相対年代とも比較照合することによって、さらに詳細な年代の解明へとつなげることができるのである。
[編集] 関連項目
- 相対年代
- 暦年代
[編集] 脚注
- ^ ただし、これについては暦年代として採用してよいか等さまざまな異論もある。