総理大臣官邸
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総理大臣官邸(そうりだいじんかんてい)は、内閣総理大臣が執務を行うための建物。一般に首相官邸(しゅしょうかんてい)とも呼ばれる。また、慣用的に内閣官房のことを官邸と称することも多い。所在地は東京都千代田区永田町二丁目3番1号。
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[編集] 現在の官邸(2002年 - )
現在の官邸は2002年(平成14年)4月22日から使用されている。地上5階、地下1階の鉄骨鉄筋コンクリート構造。最上階である5階には内閣総理大臣、内閣官房長官、内閣官房副長官の執務室、4階には閣議室、内閣執務室が置かれ、この2層に執務機能が集中している。3階は事務室と玄関ホール、2階にはレセプションルーム(大小のホール)と貴賓室が設けられている。1階は記者会見室や記者クラブなど広報関係の施設がある。地階は危機管理センターとなっている。また、屋上にはヘリポートが設置されている。傾斜地に作られているため、西側の入口は1階だが、東側にある正面の出入り口は3階となっている。同敷地内に官房長官公邸、宿舎等がある。
工事の際、山王パークタワーやキャピトル東急ホテルといった高層ビルが新官邸に隣接していることが懸案となり、官邸からは、高層ビルに面した側から窓を取り除くなどの設計変更のうえ、高層ビルに対しては、官邸に面した窓が開かないように改造させた。さらに、テロ対策を目的として、敷地は高さ5メートル以上のコンクリート製防護壁で囲まれている。周辺の道路は警察官によって封鎖され、歩行者は基本的に通行できるものの、一般車両の通行は規制されている。総理大臣官邸の警備は、敷地内は警視庁警備部警護課総理大臣官邸警備隊が担当し、敷地周辺は警視庁警備部機動隊(計9隊)が持ち回りで担当している。
[編集] 官邸データ
- 敷地の広さ:4万6000平方メートル。
- 建物大きさ:90m x 50m 、高さ35メートル。
- 建物の広さ:2万5000平方メートル。
- 構造:地上5階、地下1階
- 建替え閣議決定:1987年(昭和62年)(中曽根内閣)
- 建設起工式:1999年(平成11年)5月22日(小渕内閣)
- 現官邸開館(テープカット):2002年(平成14年)4月22日(小泉内閣)
- 建設費:435億円(総工費:約700億円)
- 設計:建設大臣官房官庁営繕部
[編集] 総理大臣公邸(旧官邸)
新官邸の完成に伴い、旧官邸を改修・増築し、迎賓機能を持たせた総理大臣公邸(総理の公の住居)として使用することになった。手始めに2003年(平成15年)10月から約1ヶ月をかけて、曳屋によって建物全体を南に約50m移動させる工事を行った。改修に伴い、茶室や和室など、外国からの賓客をもてなす部屋が新たに作られた。また燃料電池による発電・熱供給システムや、太陽光発電、風力発電など環境に配慮した各種設備が導入された。2005年(平成17年)4月に完工し、小泉純一郎総理が政権5周年目を迎える同年4月26日に引っ越した。
2005年(平成17年)10月に小泉総理が公邸の庭でキノコを見つけ、食べられるかを調べさせたところ、マジックマッシュルームの一種で麻薬原料植物に指定されているヒカゲシビレタケだと判明し、除去された。
首相が、在任期間中総理大臣公邸にずっと住み続けることこそが、長期政権の秘訣であると言われている(佐藤寛子 佐藤栄作元首相夫人の話)。
[編集] 旧官邸(1929年 - 2002年)
大正末期から昭和初期にかけて流行したアール・デコ、表現主義などの建築様式を取り入れた文化的にも価値があるといわれる建築。旧帝国ホテル本館などの設計で知られるフランク・ロイド・ライトのデザインに似ていたため、ライト風とも呼ばれたが、実際に設計したのは、当時大蔵省営繕管財局工務部工務課第二製図係長だった下元連である。1階の西階段は組閣時に閣僚が記念撮影をする場所として広く知られた。
[編集] 旧官邸データ
[編集] 旧官邸の記事
- 他の役所と違って室名表示がなかったことや、官邸内が迷路のような構造になっていた為、歴代の首相が官邸で迷うことがしばしあった。(村山富市の項も参照)
- 重大事件が起きると官邸内にある小食堂が危機管理センターの役割を果たしていた(現在の官邸は危機管理室が設置されている)。
- 総理執務室前での記者の張り番取材が行われていた(現在の官邸は警備上の関係で取材スペースが限られている)。
- 副総理用の執務室も存在したが、「天井が低く、圧迫感がある」ということで余り使われず、歴代の副総理の殆どが総理府に執務室を置いた。
- 1932年(昭和7年)の五・一五事件、1936年(昭和11年)の二・二六事件などの舞台となり、多数の死者が出ている。正面玄関には二・二六事件の際の弾痕が未だに残っているという。また、これらの事件もあってか官邸内に軍服を着た幽霊が出るとの噂が流れたことがある。(森元首相も目撃者の一人である)
- 太平洋戦争中には総理らが緊急脱出する為の地下トンネルが存在していた。一部には建て替えまで残されていたという説も言われてきたが、実際には高度成長期の地下鉄工事や周辺の再開発の影響で早い時期に取り壊されていたという。
- 東条英機総理の時には、ラジオ演説を行う為の部屋が存在した(太平洋戦争開戦時の演説もここで行われたと言われている)。
- 細川護煕政権時代には、総理執務室の壁が殺風景だということで、貼りかえられたことがある。
- 官邸記者クラブの1階には1992年(平成4年)まで「スイス」という小さな食堂があり、しばしば歴代の総理が料理を注文をすることがあったという。
- ゴキブリが大量に出るという。
[編集] 初代官邸
内閣制度創設から、旧官邸が完成する1929年まで使用された。西洋風の木造2階建てで、太政大臣官舎を転用したものであった。
[編集] 臨時官邸
総理大臣官邸危機管理センター、内閣府災害対策本部本部長室(中央合同庁舎5号館内、東京都千代田区)、防衛省中央指揮所(防衛省本庁舎内、東京都新宿区)、東京都庁総務局総合防災部(東京都防災センター内)のいずれもが大規模災害などにより被災し災害対策本部としての機能が失われた際に備え、立川広域防災基地内の立川防災合同庁舎(東京都立川市)に国や都の災害対策本部予備施設が設置されている。
[編集] 参考文献
- 首相官邸・今昔物語 大須賀瑞夫/著 朝日ソノラマ 1995年2月
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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