織田信敬
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織田信敬(おだ のぶのり、天保7年(1836年)5月 - 嘉永6年7月25日(1853年8月29日))は江戸時代の大名。丹波柏原藩主。肥後宇土藩主細川行芬の3男。初名は之与。通称は剛三郎。官位は従五位下出雲守。
天保7年(1836年)5月、誕生。弘化4年(1847年)2月26日、丹波柏原藩主・織田信貞の末期養子として家督を相続する。嘉永2年(1849)10月1日将軍徳川家慶に御目見する。同年12月16日従五位下出雲守に叙任する。嘉永6年(1853年)7月25日江戸において死去、享年18。広徳寺に葬られた。なかなか相続人が決まらず、翌嘉永7年(1854年)2月10日に死亡を届け出た。黒田長元の次男信民が末期養子として家督を相続した。
正室は織田信貞の養女鶴姫(織田信古の長女)。子女はいない。信敬の死後、柏原藩の重臣は織田家の血を引く鶴姫に再度婿養子を迎えることを考えた。しかし、鶴姫はそれを拒み、髪を切り、亡き夫の菩提を弔う一生を選択したという。
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