織田信興
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織田 信興(おだ のぶおき、? - 1570年12月28日(元亀元年11月21日))は、戦国時代の武将。織田信秀の七男で、織田信長の弟。彦七郎、信与(信與)とも。
兄・信長に早くから従い、尾張国小木江城(現在の弥富市)を与えられた。
信長が足利義昭や石山本願寺など、信長包囲網に囲まれると、信興の小木江城も尾張・伊勢長島一向一揆衆によって囲まれてしまった。このとき兄・信長は浅井長政や朝倉義景らと比叡山で対峙し、桑名城にいた滝川一益も篭城していたため、援軍を送ることができなかった。それでも信興は孤立無援の中で奮戦したが、やはり数の差は如何ともし難く、城は落城し、信興は天守で自害を余儀なくされたのである。
厚く信頼していた弟・信興を殺された信長の一揆衆に対する憎悪はさらに燃え上がり、これが1574年の長島一向一揆衆の大虐殺にまでつながったのである。