異端
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異端 (いたん、Heresy)は、主として宗教用語。正統を自負する教派が、自己の教義に対立する教義を排斥するため、そのような教義をもつ者または教派団体に付す標識。
キリスト教、イスラム教などでは歴史的に、排除・攻撃が他派の殲滅までも進み、歴史的に顕著な事件が多数起こっている。また、異端という用語は用いられないが、朝鮮儒教でも、先鋭化とそれに伴う反対派の徹底的な排斥という同様の現象が確認される。
さらに広く政治や科学あるいは文化集団などにも適用され、また日常語で使用されることもある。その場合の「異端」とは、集団内で「主流」とされる立場や考えに同調しない意見を持つ少数派や個人を、貶める目的などで使用される場合が多い。 ただし、芸術など独創性が高く評価される分野においては、「孤高」にも通じる賞賛の言辞として用いられることもある。
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[編集] 異端の概念
「異端」は、「正統」との対概念として定義される。正統でないものが異端であり、同じシステムの内部で派閥に分裂している場合は、互いに自己を正統と主張し、相手を異端と断定するのが一般的である。このように正統と異端は相対的概念であり、客観的真理として決まっている正統や異端はない。
歴史的に「異端」分派が決まるのは、相対的な正統と異端の争いで「世俗的勢力・権力」の支持を獲得した特定の分派が、他の分派を政治的・軍事的・経済的に殲滅したり追放することで、「主流」の地位を確立する過程で生まれる。従って、これは歴史の所産である。
異なる分派を支持する世俗勢力が複数あり、互いに力が拮抗している場合、特定の分派が他の分派の殲滅・追放に至るような事態にならないことがある。歴史的な例では、キリスト教であれば、ローマ・カトリック教会と、東方教会、プロテスタント諸派とは、中世の分裂以降近代まで相互に異端・正統関係であったが、世俗的勢力の支持がそれぞれ存在したこと、地理的な分布が異なっており一種のすみわけが行われたことなどから、並列して存続して今日に至っている。あるいはイスラム教では、スンニー派とシーア派が、このような関係にある。日本国内の仏教においても、日蓮正宗と創価学会が、このような関係にある。
このように、異端と正統は相対概念であるため、特定教派の「異端の定義」はあくまでも自派の立場によるものであり、公正を期すことを心がけてもせいぜい歴史的に多数派に受け入れられた見方が提示できるに過ぎない。
なお、古代以来、キリスト教の教会統治上の概念としての異端は、ある教説の内容およびそれを支持する人物や集団についての教会の公的な認定に基づいている。したがって非正統的教義や反対意見がただちに異端と呼ばれるわけではない。代表的な例として、カトリックと東方正教会の分裂の最大の原因とされるフィリオクェ問題では、東方正教会はカトリックを論難しつつ、この教説について最終的な異端認定を行っていない。また異端の認定は、一般に、他の信者へ与える影響を加味して行われるため、ある主張が異端認定されていないことは、必ずしもその教会の教義との整合性を意味するものではない。
[編集] キリスト教における異端
[編集] 伝統的教会における歴史的異端
異なる教説の間の対立は、すでに初代教会にはじまったとする見解がある。使徒行伝にある「やもめの食事の配分のこと」に関するエルサレム教会でのヘブライストとヘレニストの対立の記事は、そのような教義上の対立の痕跡を留めているとの解釈がある。またパウロ書簡にはたびたび分争への警告がなされている。(後)パウロ書簡である『コロサイ書』および『テトスへの手紙1』などには、非正統的教義を信奉するものへの警告がなされている。伝承では『テトスへの手紙1』に登場するニコラオは、使徒行伝にある執事ニコラオと同一視され、彼が一派を起こして独立し、異端となったものだとする(黙示録2:15)。
異端反駁は、異教反駁と並び、初期の教会著述者の大きな主題のひとつであった。当時の異端派についての研究は、そのような著述家による引用に多くを負っている。キリスト教教義とその文書は、異端とされたそのような説への反駁によって形成され洗練されていったという側面ももっている。対立点は、救いの条件、洗礼の方式、キリスト理解、ユダヤ教との関係、個人の罪と赦し、聖霊についての理解、教会論など多岐にわたった。教会組織において、統制のためいくつかの説またその信奉者が「異端」とされ、異端とされた説を教会で教えることや、異端の者が教会の公的な礼拝に与ることが禁止された。異端者とその取り扱いについての規定は、最古の教会法文献である『ディダケー』(1世紀)にすでに記載されている。教会組織が成熟していくにつれ、異端の判断は教会高位聖職者が組織的決定として行うようになっていく。
はじめキリスト教が非公認の宗教であった時代には、これらの相反する教義間の対立はそれほど大きな社会的問題にはならなかった。しかし、キリスト教が公認され、信者が公に活動をはじめると、異なる教説を奉じる者の間の対立は大きく、教会人事に影響を及ぼすにとどまらず、教会外で騒乱を起こすまでになった。最初の公会議である第1回ニカイア公会議が皇帝の主宰で開催されたのは、アリウス派とアタナシウス派を中心としたこのような状況を打開するためであった。結果的に、アリウス派が「アナテマ」(呪い、異端の意)を宣告され、教会から追放されたが、事態が収拾されるまでには数十年を要した。
その後も教会会議や公会議による異端説の追放が行われた。そのほとんどは現存していない。しかし一定の範囲で支持を得ている説が異端とされたときには、むしろ教会の分裂(シスマ)と呼ぶのがふさわしい状況が出来した。東方諸教会、東方正教会、カトリック、さらにはプロテスタントの区別は、こうした大きな集団の対立と、相互を異端として退けるなかから、生じてきたのである。
異端を理由とした死刑は、西方教会で行われるようになり、アルビ派およびワルド派が出る中世盛期には、異端裁判所を設けた組織的な異端摘発が行われるようになった。当時異端審問に深くかかわったドミニコ会はこのため canis domini (主の番犬)の二つ名を追うほどになった。近世のスペインではレコンキスタ運動と融合し、異端審問が激しく行われた。異端審問はまた、カトリックと対峙したプロテスタント地域でも激しく行われた。いっぽう東方教会では、一般に、異端者は教会から追放され結果として社会的制裁を受けるにとどまり、西方のような組織的な異端摘発がなされることはなかった。
[編集] 現行教会法での異端規定
[編集] ローマ・カトリック教会の異端規定
古代から中世中期までは公会議において、中世後半以降は異端審問などで、異端宣告がしばしばなされた。現在のローマ・カトリック教会においては、「異端」を、教会法の中で、次のように定義している。
- 教会法によれば洗礼後、名目上キリスト教徒としてとどまりつつ意識的・意図的に神の意志に対して反対するのが異端であり、これは信仰の諸前提から誤って導き出された神学的誤謬とは区別されなければならない.(新カトリック大事典編纂委員会編、「新カトリック大事典」、1996年)
- 今日では異端とは客観的意義に於いては狭義のカトリック教理に反する命題、又主観的意義に於いてはかかる命題の容認、或る天啓的信仰事項として(fide divina)、又は公教的信仰事項として(fide catholica)信ずべき真理の頑固な否定、または真剣な懐疑を指す(教会法 1325条2項).(上智大学,独逸ヘルデル書肆共編 、「カトリック大辞典」、1940-1942年)
[編集] プロテスタント諸派の異端規定
宗教改革以降のプロテスタント教会でも歴史的に教会会議で異端の排斥を決議したことがある。ルター派とカトリックのアウグスブルクの和議では改革派が、改革派のドルトレヒト会議ではアルミニウス主義が異端として退けられた。
カルヴァン(改革派)も、ヴィエンヌ宗教裁判でその血液循環説でしられるスペイン人のミカエル・セルヴェトゥス(w:en:Michael Servetus - w:es:Miguel Servet)を異端として告発したことは有名。セルヴェトゥスは、数学者、解剖学者、医学者で多くの神学論文を著した人文主義者でもあり、三位一体論を否定してリヨンの異端審問所でカトリックから異端判決を受けた後に脱獄、ジュネーブで捕縛され、カルヴァンの告発により、当時の異端者処刑の通例に従い火刑に処せられた。
今日、プロテスタント教会で「異端」を定義する根拠は、再洗礼派やアルミニウス主義をとる諸教派やルター派や改革派などが超教派の立場から共有できる、ニカイア信条、ニカイア・コンスタンティノポリス信条、カルケドン信条、使徒信条など基本信条からの逸脱である。しかし、それらとの合致が自派の正統性の根拠であると具体的に強く意識していない教会や信徒によっては、単にプロテスタンティズムに反するに過ぎない「聖書のみに基づく信仰からの逸脱」、また、暴力的であるなど明らかな反社会的運動、牧師が教祖的になる、あるいは高額な献金を強要する、継続的に聖書以外からの教義を説教をする、など、本来はカルトの定義に相応しいものが異端の定義であるかのように捉えられている。これは、明らかな聖書からの逸脱であり異端であると今日の彼等が意識するものの代表例が、モルモン教(末日聖徒イエス・キリスト教会)、エホバの証人、統一協会等であり、これらが異端であると同時に破壊的カルトでもあると認識されていることにより、両概念の定義に混同が発生しているものである。
[編集] キリスト教において異端とみなされた主要な諸派・思想
- 仮現説(ドケティスム) 人間としてのキリストは見せかけのもので、あくまで神的存在であったと考える。 w:Docetism
- グノーシス主義 ギリシャ語の知識(グノーシス)に由来。二元論的世界観。w:Gnosticism
- エビオン派 2世紀、イエスは人間で神の養子である(養子論、養子的キリスト論)。処女懐胎を否定、唯一神の強調。w:Adoptionism
- マルキオン派 2世紀のマルキオンに由来。旧約・新約の神を区別して旧約の神を否定、また、神が人間のように苦しむはずがないとしてイエスの肉体を否定する。グノーシス主義に近い。w:Marcionism
- モンタノス派 2世紀、モンタノスが創始。禁欲的生活を呼びかける。テルトゥリアヌスも加わっていた。
- モナルキア主義 3世紀、唯一神論ともいう。
- アポリナリオス主義 4世紀、ラウデキア司教アポリナリオスはキリストは人間の魂をもっていなかったと主張。w:Apollinarism
- アリウス派 4世紀、キリストの人間性を重視し、神との同一視を否定。w:Arianism
- ドナトゥス主義 4世紀、ドナトゥスが唱える人効論を支持。w:Donatism
- エウキテス派 東方教会より分裂。w:Euchites
- ルシフェル派 4世紀の司教ルシフェル・カラリタヌスに由来。w:Luciferians
- 単性説 4世紀、エウテュケスが唱える。w:Monophysitism
- ネストリウス派 5世紀のコンスタンティノポリス司教ネストリオスに由来。w:Nestorianism
- ペラギウス主義 5世紀、ブリタニアの修道士ペラギウスに由来。w:Pelagianism
- プリスキリアヌス主義 5世紀のスペインで起こる。 w:Priscillianism
- 皇帝教皇主義 東方、特にビザンティン帝国において皇帝が教会を支配するあり方のこと。w:Caesaro-papism
- カトリック教会 東方正教会などにより対抗的に異端認定される。
- アンリ派 12世紀、ロザンヌの修道士アンリに由来。w:Henry the monk
- ペトロ・ブルイス派 12世紀、ブリュイのペトルスに率いられる。 w:Peter of Bruis
- ワルドー派 12世紀。リヨンの商人ペトロ・ヴァルデスが創始。別名「リヨンの貧者」。w:Waldensians
- ボゴミール派 10世紀、ブルガリア人修道士ボゴミールが創始。w:Bogomils
- カタリ派 14世紀、南仏。アルビ(ジョア)派、パタリア派も同じ。Catharism
- ソッツィーニ派 16世紀イタリアの神学者レリオ・ソッツィーニに由来する。
- ジャンセニスム 17世紀、コルネリウス・ヤンセンに由来。w:Jansenism
- ガリカニスム 教皇至上主義(ウルトラモンタニスム)に対抗。w:Gallicanism
- 地動説 宗教思想ではない学説の一つであるが、一時教皇庁により異端とされ、一部の天文学者が処罰された。これについてはガリレオ・ガリレイの項を参照。