茶臼山古墳 (大阪市)
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茶臼山古墳(ちゃうすやまこふん)は大阪市天王寺区茶臼山町にある古墳。
[編集] 概要
古墳の周囲一帯は天王寺公園となっており、この古墳も公園の一部として遊歩道が整備されている。公園本体との間には河底池(かわぞこいけ、通称ちゃぶいけとも言う)があるが、これは788年に和気清麻呂が、大和川や河内湖の排水と水運のために上町台地をここで開削しようとして失敗した跡地といわれている。
[編集] 歴史
古墳自体は5世紀にこの地の豪族のために作られた墓といわれ、大阪市内でも最大級の前方後円墳だが被葬者は不明である。1614年(慶長19)の大阪冬の陣では茶臼山一帯が徳川家康の本陣となり、翌1615年の大阪夏の陣では真田幸村の本陣となって「茶臼山の戦い」の舞台となった。
明治以降は住友家邸宅の敷地の一部となっていたが、1925年に住友家から邸宅敷地(現・大阪市立美術館)、慶沢園とともに大阪市に寄付され天王寺公園の一部となった。河底池は1928年に公園に編入されている。