萬朝報
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萬朝報(よろずちょうほう)は、かつて存在した日本の日刊新聞。
1892年11月1日、都新聞を辞した黒岩涙香の手により、東京で創刊される。発行所名は「朝報社」であり、学術論文にすら見られる「萬朝報社」という誤記は、紙名からくる間違いである。
日本におけるゴシップ報道の先駆者として知られ、権力者のスキャンダルについて執拗なまでに追及。「蓄妾実例」といったプライバシーを暴露する醜聞記事で売り出した。一時淡紅色の用紙を用いたため「赤新聞」とも呼ばれた。また第三面に扇情的な社会記事を取り上げた事で「三面記事」の語を生んだ。
「永世無休」を掲げ、「一に簡単、二に明瞭、三に痛快」をモットーとし、低価格による販売と黒岩自身による連載翻案探偵小説の人気、家庭欄(百人一首かるたや連珠(五目並べ)を流行らせた)や英文欄の創設等で大衆紙として急速に発展。1899年末にはその発行部数が東京の新聞中第1位に達した。
1901年、「理想団」を結成。労働問題や女性問題を通じ、社会主義思想から社会改良を謳って日清戦争時の世論形成をリードした。しかしその後、主たる購買者であった労働者層をめぐって『二六新報』と激しい販売競争を展開。日露戦争開戦の折、最初は非戦論を唱えていたものの、世間の流れが開戦に傾くにつれ、黒岩自体も主戦論に転じた。このため、非戦を固持した幸徳秋水、堺利彦、内村鑑三が退社。これを機に次第に社業は傾き、黒岩の死後は凋落の一途を辿った。
1940年10月1日、『東京毎夕新聞』に吸収され廃刊となる。
なお、紙名の「萬朝報」は「よろず重宝」のシャレである。
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