東京新聞
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東京新聞(とうきょうしんぶん)は、中日新聞東京本社が発行する日刊新聞。
関東地方のブロック紙で、東京都のローカル紙としての面を持つ。前身である都新聞(1884年9月25日創刊、1889年に都新聞と改題)以来の伝統として、文化・芸能に強い点を特徴とする。発行部数(朝刊のみ)は601,029部だが、同一会社の中日新聞(2,763,602)、北陸中日新聞(105,074)、日刊県民福井(40,160)を併せると3大紙の次ぎに多い3,553,348部を誇り、日本経済新聞(300万部)、産経新聞(210万部)より多い、日本第4位の新聞である。中日グループの総発行部数は355万部(2006年5月)。この部数は全国紙に匹敵と自社ホームページにも掲載している。
創刊は1942年(昭和17年)10月1日、全国の本支社数は7社(名古屋市、東京都千代田区、金沢市、浜松市、大阪市、岐阜市、福井市)、通信網は全国220拠点、海外機関21拠点、印刷拠点は10ヶ所(名古屋市に2ヶ所、豊田市、岐阜市、中津川市、浜松市、金沢市、東京都江東区、横浜市、戸田市)であり、国内最大級の地方紙新聞社である。
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[編集] エリア
関東地方と静岡県(西部を除く)をエリアとする。南関東一都三県を除く地域は、朝のみ(統合版)の発行。静岡県では、中部が宅配のみの扱い(即売はない)で、西部では中日新聞のみの販売となっている。
[編集] 概要
1884年(明治17年)に東京・京橋で「今日(こんにち)新聞」として創刊されたのが始まりである。1886年(明治19年)には「都(みやこ)新聞」と題号を改めた。戦時体制下は「一県一紙制」により1942年10月1日、「國民新聞」(こくみんしんぶん、1890年創刊)と合併、都新聞が存続会社(社団法人東京新聞社)となる形で「東京新聞」として再出発した。当初は夕刊紙として発足。戦後になると朝刊を発行し、次いで週刊誌ブームに乗って「週刊東京」を創刊した。これら一連の拡大策が裏目に出て業績が悪化。また、國民新聞の路線であった右寄り路線の強かった紙面が当時の都市住民に受け入れられずに経営不振となり、1963年11月、中部日本新聞社(現在の中日新聞社)が経営に参加(業務提携)してからは左寄り路線を出すようになる。
中部日本新聞社は、1956年に東京・内幸町(日比谷)に東京支社を開設し、スポーツ・芸能ニュースなどの大衆紙「東京中日新聞」(現・東京中日スポーツ)の発行を開始した。そして、中日東京支社と同じ日比谷に本社・編集部があった東京新聞を傘下に収めて本格的な東京進出へ躍進しようとした。そして、1965年5月、東京都港区港南2丁目の品川駅港南口に東京の拠点となる新社屋が完成した。
1967年9月30日、中部日本新聞社が東京新聞社の東京新聞の発行と、編集・販売などそれに付帯する一切の業務を譲り受けた。翌日の10月1日付から「東京新聞」は中日グループの関東地方の基幹紙として再スタートを切った。尚、中日新聞社との関係は、前身の一つである「國民新聞」に、これ又中日新聞社の前身の一つである新愛知新聞社が、東京新聞成立時まで経営に携わっていた経緯がある。
中日グループ各紙の国際面、証券面や一部の特集記事は、中日新聞東京本社で紙面製作している。また関東地区で起きたニュースの取材と記事および紙面の作成を担当している。そのため、中日新聞、北陸中日新聞、日刊県民福井の紙面や記事の一部は東京新聞と共有している。
又、毎週日曜日には「サンデー版」が付録として添付されるが、特に「サンデー大図解」は読者のみならず教育界などからも好評で(実際に一部の学校でも教材として使用されている)、これについては中日新聞グループ各社は勿論、一部のブロック紙や地方紙各社にも配給されている。また、中日新聞グループや北海道新聞、西日本新聞などブロック紙3社連合に加盟している新聞に掲載される小説や4コマ漫画(佃公彦作の「ほのぼの君」。2007年3月8日で終了)は、中日新聞東京本社から配信される。
毎年4月1日の「こちら特報部」は、エイプリルフールにちなみ、本当のような嘘の記事を掲載する事で知られる。この日のコラムも担当者に依頼し、嘘のコラムを書いて貰うように依頼している。
購読申し込みフリーダイヤルの電話番号「0120-026-999」をもじった「お風呂できゅきゅきゅ、東京新聞」のCMコピーが、関東地方では有名である。またTOKYO MXとテレ玉については、東京新聞舞踊コンクール入賞者によるダンス画像に、「東京の鼓動を伝える」をキャッチフレーズにした10年前制作のCMを流すことがある。
2004年9月に、創刊から満120年を迎えた。
2006年10月1日に本社を、発祥の地である日比谷の日比谷中日ビルに移転(それまでは日比谷分室だったが、施設拡充を行い編集・事業の全ての部門を集約)し、それまでの本社(港区港南)は品川分室となった。
[編集] 疑惑の報道
- 2005年11月24日の社説においての報道で物議を醸した。社説自体はタミフルに関する話題であったが、文末において、当時問題になっていた韓国産キムチから寄生虫の卵が発見された問題にひっかけて、「キムチは最近、寄生虫卵騒ぎで不評だが、なあに、かえって免疫力がつく」と報道した。医学的知識を持っていれば判ることだが、寄生虫は時に命に関わることもあるほど危険な生物である。このように寄生虫への警戒心を読者に失わせるような書き方が一部で批判された。
- 2007年2月21日のこちら特報部においての報道で物議を醸した。
こちら特報部の内容は「言葉の暴力における警察介入の境界線」というものであったが 福岡県筑前町の中学二年生=当時(13)=が、執拗ないじめを苦に自殺した問題において、自殺のいち原因となった 「ズボン脱がし」について、東京新聞記者(「蒲」という記者)が 『同僚デスクは「ズボン脱がしくらいやったな」と言い、そういえば、とわが子ども時代を振り返る』と締めくくった。 この発言は、記事を書いた新聞記者も「子供時代はいじめをした」という事実を語ったものであって、一部で批判された。
[編集] 地方版
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[編集] 番組表
東京新聞朝刊のテレビ・ラジオ番組面は、抜き取って利用できるよう、紙面の中央の頁に掲載されている。従来は一部の日を除いて薄茶色地の頁になっていたが、現在では全頁フルカラーとなっている。又、独立UHF放送局(独立U局)の番組表は、NHKテレビや民放テレビ系列局とは別の面(第二テレビ面)により小さなサイズで掲載されている(他紙もほぼ同様)。
しかし、資本参加しているTOKYO MXにおいては、東京都を放送対象地域とする独立U局にも拘らず、NHKなどと同じ面に同サイズで列べて番組表が掲載されている。又、ドラマ、映画の番組欄には2行の解説記事が掲載されている(19時以後のみ)。
中日新聞、中日スポーツなど中日グループ各紙も同様にドラマ、映画の番組欄に2行の解説記事を載せている。
テレビ・ラジオ欄は一時期、中日新聞本社(名古屋市)で製作されていた(東京本社はその頃、電算写植のシステムが導入されて無かったため)。
[編集] 番組欄のページ構成
(2006年10月現在)
- 1頁:NHK総合・教育、在東京民放キー局五局、TOKYO MX、NHK衛星第一、NHK衛星第二、WOWOWアナログ番組表
- 2頁:番組の解説、芸能・娯楽記事、番組評(担当記者によるコラム)
- 3頁:芸能・娯楽・放送メディア関連記事、言いたい放談(日替わりコラム)、番組評(読者投稿、2頁からまたぐ形で掲載)、各種ランキング(視聴率、CD売上げ等)
- 4頁:TOKYO MX以外の独立UHF局、NHKデジタル衛星ハイビジョン、NHKデジタル教育サブチャンネル、民放キー局系BS放送、WOWOWデジタル、スターチャンネルBS、列びにラジオ番組表
[編集] 静岡版
静岡県(西部を除く)も配布地域となっているが、静岡県のテレビ・ラジオ(テレビ静岡、静岡朝日テレビ、SBSテレビ・ラジオ、静岡第一テレビ、K-MIX)の番組欄は、県域面に小サイズで掲載されている。 ただし、東京新聞静岡版(中日新聞東京本社発行)については、中日新聞東海本社発行の「週間テレビガイド」が、週末に折り込まれ、1週間分のテレビ・ラジオ欄(静岡県地上波)が一覧できるようになっている。
「静岡版」は、中日新聞東海本社が出稿した記事を東京本社で編集・紙面制作しており、中日新聞東海本社版の静岡県東部・伊豆を中心としたダイジェスト的な紙面構成になっている。
[編集] 本社所在地
- 東京都千代田区内幸町2丁目1番4号(日比谷中日ビルディング)(平成18年10月1日より)
- 品川分室(旧本社屋) 東京都港区港南2丁目3-13(所在地は港区であるが、品川駅に近いということで品川分室としている)
[編集] 関連項目
[編集] 関連放送事業者
[編集] 関東地方
[編集] 関東地方以外
[編集] 外部リンク
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