蒸気機関
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蒸気機関 (じょうききかん, steam engine) は、蒸気の圧力を機械的エネルギーに変換する原動機の一種。熱機関・外燃機関の一種であり、ボイラなど機関外部で発生させた蒸気を用いる。
蒸気機関には、蒸気をシリンダに導き、ピストンを動かして往復運動をさせるレシプロ機関型のものと、蒸気で羽根車をまわすタービン型のものとが存在する。本稿では主としてレシプロ機関型のものを説明する。タービン型のものについては蒸気タービンを参照のこと。
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[編集] 蒸気機関・前史
古代アレクサンドリアの工学者・数学者であったヘロン(10年頃 - 70年頃)が考案したさまざまな仕掛けの中に、「ヘロンの蒸気機関」と呼ばれるものが存在する。これは、蒸気を円周上のノズルから噴出させることで回転力を得るものである。これが人類史上に蒸気機関が登場した最初のものであるとされる。なお、これは蒸気タービンの概念に含まれるものであり、レシプロ式のものではなかった。
[編集] ドニ・パパンの真空エンジン
フランス生まれでのちに宗教的理由からイギリスに亡命した物理学者であるドニ・パパン(Denis Papin 1647年-1712年頃)は、1695年に、蒸気を使った最初のエンジンを試作した。これは、それまで蒸気圧を動力として使うことが主に考えられていたが(そして技術的な理由で頓挫していたが)、発想を転換し蒸気が液化することによって気圧が減少するという現象を利用することにしたものであった。これは、実験には成功したものの実用化はなされず、ドニ・パパンは貧窮のうちに死亡したと伝えられている。
[編集] セイヴァリの熱機関
イギリスの陸軍大尉で発明家のトーマス・セイヴァリ(Thomas Savery、1650年頃-1715年)は、1698年に「鉱夫の友(セイヴァリ機関)」を開発し、国王の前での実験に成功し、特許を取得した。これは、ドニ・パパンの真空エンジンと同様の原理によるものだが、ドニ・パパンの影響があったかどうかは定かではない。また、このシステムは負圧によって直接に揚水するもので、ピストンやシリンダなどは持たなかった。セイヴァリの特許は「火力によって揚水する装置」という実に広範かつアバウトなものであったため、後続のニューコメンらはこの特許に対しての支払いを余儀なくされたと伝えられている。
[編集] ニューコメンの蒸気機関
イギリスの発明家・企業家であるトーマス・ニューコメン(Thomas Newcomen 、1664年2月24日-1729年8月5日)は、1712年に、鉱山の排水用として蒸気機関を製作した。
この蒸気機関は、パパンやセイヴァリの蒸気機関をさらに発展させたものであった。蒸気に冷水を吹き込んで冷やし、蒸気が水に戻るときに生じる負圧(真空減圧)でピストンを吸引する方式である。依然、蒸気圧を積極的に使うアイデアは多数あったのだが、まだ圧力に耐えうる蒸気釜が作れなかったためにことごとく破裂や蒸気漏れで失敗し、唯一この真空減圧方式が商用化することができた。発明の動機はニューコメンが住んでいた村の鉱山のわき水を汲み出す、自動の「つるべ井戸」であったために往復運動を回転運動に変えていない。運転速度は、毎分12サイクル程度であったという。ニューコメンはこれで商売的に大成功した。なお冷水で冷やすときシリンダも冷えるので燃料効率は低く、掘り出した石炭のうち実に1/3程度がこの揚水ポンプのために消費されていたという。
[編集] 動作
- 錘Kの重さでピストンDが上がり、ボイラーAの蒸気がシリンダーBの中に入る。
- ピストンDが上死点になったところで栓Cが閉じられる。
- タンクLから管Pを通ってシリンダーB内に冷水が導かれ、シリンダーB内の蒸気が水に戻される。この水は管Rと通ってSに溜められる。
- 3.によりシリンダー内部の圧力が下がり、大気圧によってピストンDが下げられる。(負圧の発生)
- 4.のシリンダーDが下がる時の力により、反対側にある錘KとピストンMを引き上げる(負圧の利用)。ピストンMによって汲み上げられた水の一部はNを通ってタンクLに溜められ、3.の行程に使われる。
- ピストンが下死点になったところで再び1.に戻り、このサイクルを繰り返す。
- 参考
- 細川武志『蒸気機関車メカニズム図鑑』グランプリ出版 10頁
[編集] ワットの蒸気機関
スコットランドの数学者・エンジニアであるジェームズ・ワット(James Watt, 1736年1月19日 - 1819年8月19日)は、1769年に新方式の蒸気機関を開発した。これはニューコメンの蒸気機関の効率の悪さに目をつけて改良したもので、復水器で蒸気を冷やす事でシリンダーが高温に保たれることとなり効率が増した。ワットの蒸気機関は、産業革命・工業化社会の原動力になるとともに、燃料である石炭を時代の主役に押し上げた。
蒸気機関の誕生以前の炭鉱では馬が動力として利用されていたが、飼葉代が高騰した際に、炭鉱経営者が馬に代わる動力として安価に入手出来る石炭を利用できる蒸気機関に着目したことが蒸気機関の普及を促進させたとも言われている。
積極的に蒸気圧を高めて使う時代がきたのはワットが老いて保守的になった頃であり、老ワットは自分の特許が及ばない次世代方式に、爆発事故を続発したことを捉えて反対した。
- 付記
- 蒸気機関ではないが、この頃にもうひとつ、新しいエンジンシステムが提案されている。それは、スターリングエンジンである。
- 当時の若い世代の技術者は、正圧式蒸気機関の爆発死者にもめげず改良に邁進したが、社会階層の底辺のボイラー工夫の爆死の続発を見て心を痛めた者もいた。牧師でありかつ技術者であったロバート・スターリングもそのひとりであり、爆発しないエンジンの開発を自ら手がけ、1816年に新しいシステムの熱機関を開発した。このスターリング・エンジンは、内燃機関の登場によっていったんは歴史の彼方に忘れ去られたものの、21世紀になってふたたび注目を集めている。
[編集] レシプロ式蒸気機関の落日と蒸気タービンへの移行
しかしその後、19世紀から20世紀にはいる頃から、電気動力・内燃機関動力が発達をしはじめた。蒸気機関は、ボイラー,復水器などの付帯設備が大きいこと、(それらの新動力と比べると)エネルギー効率が悪く対重量比出力が低いこと、起動・停止に手間がかかることなどが災いして、地位の低下を余儀なくされた。
大型化にシビアな制限のある小型の移動機関、特に自動車については早期に内燃機関に移行した。自動車ほど小型軽量化にシビアではない機関車は、20世紀中盤まで蒸気機関車が主役の座にあり続けたが、それもその後減少し、21世紀になる頃には世界的に見てもごくわずかなところに残るにすぎなくなっていた。
なお、大きさや起動・停止の手間などが問題にならない大型のシステムについては、レシプロ蒸気機関から蒸気タービンに移行した。蒸気タービンは、発電施設用の原動機をはじめとして、現在も多用されている。特に、外燃機関特有の熱源の多様性を活かして原子力発電やRDF、ごみ焼却場の廃熱を利用して発電に用いられている。
[編集] 蒸気機関の開発者たち
- アレクサンドリアのヘロン
- エドワード・サマーセット
- ドニ・パパン
- トーマス・セイヴァリ
- トマス・ニューコメン
- ジェームズ・ワット
- ニコラ=ジョゼフ・キュニョー
- リチャード・トレビシック
- ジョージ・スティーブンソン
- マーク・アイサムバード・ブルネル
- アイサムバード・キングダム・ブルネル
- ロバート・フルトン
- チャールズ・アルジャーノン・パーソンズ
[編集] 蒸気機関の応用
なお、蒸気船・蒸気機関車に関しては、レシプロ式蒸気機関のものだけではなく、蒸気タービンを用いたものも存在する。