藤原良相
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
藤原 良相(ふじわら の よしみ、またはよしあう、(813年(弘仁4年)- 867年((貞観9年)))は、平安時代前期の官僚。父は藤原冬嗣、母は藤原美都子。兄弟に長良、良房らがある。号は西三条大臣。
834年(承和元年)に蔵人になる。承和の変に際して近衛兵を率いて兵仗を収める。848年(嘉祥元年)に参議、右大弁などを経て、851年(仁寿元年)従三位中納言となり、857年(天安元年)右大臣となる。
清和天皇に娘の多美子を入内させ、また周囲からの人望も厚かったことから、政権の首座にあった兄良房からは常に警戒される存在であった。866年(貞観8年)の応天門の変に際し、伴善男の告発を受け一旦は左大臣源信の逮捕命令を下すが、信の無実を訴えた良房によってこれを阻止され、以降は影響力を失った。翌867年(貞観9年)に死去。贈正一位。
今昔物語集に収録された説話の中では、一旦病を得て死去し地獄で閻魔大王の目前に引き据えらるが、小野篁の執り成しによって赦され冥界から帰還した、と記されている。