西尾城
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西尾城(にしおじょう)は、三河国幡豆郡西尾(現在の愛知県西尾市)にあった城。別名は、「鶴城」、「鶴ヶ城」、「錦丘城」。古くは「西条城」とも称した。城郭構造は平山城で、天守閣が二の丸にあった。
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[編集] 歴史
- 1221年(承久3年) - この頃、足利義氏により西条城築城と伝承される(西尾市史)が、13世紀の遺物がなく実態が不明である。後に足利義氏の子孫の西条吉良氏の居城となる。
- 1560年(永禄3年) - 酒井正親が城主となる。
- 1561年(永禄4年) - 西尾城と改名される。
- 1585年(天正13年) - 城主が酒井正親の子、酒井重忠の時に徳川家康の命により改修され、二の丸に天守が築かれる。
- 1590年(天正18年) - 酒井重忠が徳川家康の関東移封に従うと、近江国より転封し岡崎城主となった田中吉政が西尾城主も兼ね、三の丸の拡張や大手黒門、新門の桜門、櫓門を建てた。
- 1601年(慶長6年) - 本多康俊が表高2万石で初代西尾藩主として入城。以降、松平成重、本多俊次と続く。
- 1638年(寛永15年) - 太田資宗が表高3万5千石で入封。城下町を囲む総構えの工事に着手。
- 1657年(明暦3年) - 井伊直好(1645年・正保2年に入封)が総構えを完成させた。以降の藩主は増山氏2代、土井氏4代、三浦氏2代と続く。
- 1764年(明和元年) - 出羽国山形藩から松平乗祐(大給松平)が表高6万石で入封。以降5代続く。
- 1869年(明治2年) - 最後の藩主となった松平乗秩が版籍奉還をする。
- 1872年(明治5年) - 西尾城が解体される。
- 1878年(明治11年) - 西尾城が廃城となる。
[編集] 城趾の現況
1996年(平成8年)に本丸丑寅櫓と鍮石門が再建され、さらに天守閣の再建も計画されている。