西蔵地方
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
西蔵地方(せいぞうちほう)は、アムドやカムを除く、チベットの西南部2分の1程度を占める領域に対し、「中国を構成する一部分」として付与された中国語の呼称。中国政府が日本語で発信する出版物、ウェブ上の文章にみえるチベット地方という用語も同義。
1911年以降、チベットのガンデンポタンが、チベットが中国とは別個の国家であることを主張し、チベットのうちの西蔵の部分に実効支配を確立したのに対し、中華民国の歴代の政権が、チベットの独立をみとめない立場から、チベットの西蔵部分があくまでも「中国を構成する一地方」であることを強調する用語として、西蔵とならび、広く使用し始めた呼称である。中華人民共和国期においても、「祖国大家庭の不可分の一部」という含意をこめて使用されている。
たとえば十七ヶ条協定では、西蔵・西蔵地区とならび西蔵地方が併用され、協定の締結主体として9箇所出現するガンデンポタンに対しては、ことごとく西蔵地方政府という呼称が使用されている。
西蔵という用語の概念、用法には、歴代の中国政府が設定する時代ごとの「西蔵地方」をさす用例のほかに、アムドやカムを含む「全チベットの総称としての用法」や、王朝や政権の変遷を超えた「国号」としての用法があるのに対し、西蔵地方(チベット地方)という用語の概念、用法には、そのような多様性はない。
西蔵という地域概念の出現から現在にいたるまでの用法の変遷、中国の国内外で使用される各種の西蔵概念については西蔵の項で詳述し、本項では、以下のごとく、中国歴代政権による「中国を構成する一地方」としての用語「西蔵地方」(チベット地方)の概念と用法の変遷について扱うものとする。
- 西蔵は、雍正のチベット分割以降の清代の中国において、チベットのうち、ダライラマ政権(ガンデンポタン)が管轄する領域に対する呼称。また「ダライラマ勢力」の通称。
- 西蔵、西蔵地方、西蔵特別地区は、中華民国期の中国において、「中国の国土」の西南部を占めるとされた地方に対する呼称。チベットのうち、ガリ、ウー、ツァンの三地方に相当する領域とされたが、実際には、1911年の辛亥革命以降、全域が、中国とは別個の独立国としての国際的地位の獲得を目指すガンデンポタンの実効支配下にあり、中華民国側では、名目上、省を設置する条件が整っていない特別地区のひとつとして位置づけられていた。
- 西蔵、西蔵地方、チベット地方、西蔵自治区は、中華人民共和国期の中国において、中国の不可分の一部分を構成するとされている地方に対する呼称のひとつ。ガリ、ウー、ツァンの三地方に加え、中華民国期、名目的には西康省に帰属、実際にはガンデンポタンの実効支配下にあったカム地方の西半部が、中国人民政府により、改めて正式に西蔵の一部として認定された。この措置により、中国人民政府による西蔵の領域は、清朝期の領域とほぼひとしいものになった。