西郷延員
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西郷 延員(さいごう のぶかず、慶長19年(1614年) − 元禄10年4月25日(1697年6月13日))は、江戸時代の大名。西郷正員の子。安房東条藩2代藩主。正室は松平重則の娘、継室は相馬義胤の娘。子に西郷重員、西郷行員、西郷氏員、娘(西郷寿員室)、娘(土岐頼殷室)。
慶長19年(1614年)、下総小弓にて西郷正員の嫡子として出生。生母は阿部氏という。
寛永15年(1638年)11月14日、父の死去により東条藩の2代藩主となった。
3人の息男が居たとされるが、長男の重員は延宝6年(1678年)7月24日に、次男の行員は寛文9年(1669年)6月20日に、三男の氏員は天和元年(1681年)4月2日に、いずれも延員に先立って死去した。いずれも、将軍家への拝謁を済ませていながらの不幸で、老いた延員には深刻な問題であった。そこで同母弟・西郷用員から3男・万吉を貰い受けた。
天和2年(1682年)2月21日、万吉は、東条藩の跡目・西郷茂員として綱吉将軍の拝謁を賜る。
貞享元年(1684年)11月25日、養嗣子・茂員が綱吉将軍の御小姓となるも粗相があったのか、辞仕している。それだけに留まらず、元禄元年(1688年)2月11日、茂員を生家に還す破目に陥った。茂員はここに廃嫡となる。
そこで、娘婿として大村純長の5男・万之丞を貰い受けた。のちの西郷寿員である。延員は元禄3年(1690年)に隠居し、寿員が後を継いだ。
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