護王神社
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護王神社 | |
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所在地 | 京都府京都市上京区烏丸通下長者町下ル桜鶴円町385 |
位置 | 北緯35度01分20秒 東経135度45分31秒 |
主祭神 | 和気清麻呂公 和気広虫姫 |
社格等 | 別格官幣社・別表神社 |
例祭 | 4月4日 |
護王神社(ごおうじんじゃ)は、京都市上京区にある神社である。旧社格は別格官幣社。別称子育明神。
和気清麻呂と姉の和気広虫を主祭神とし、藤原百川と路豊永を配祀する。
[編集] 歴史
護王神社は、和気氏の創建による高雄神護寺境内に作られた、和気清麻呂を祀った廟(護王善神堂)に始まる。正確な創建の年代は不詳である。
和気清麻呂と姉の広虫は、道鏡事件の際に流刑に処せられながらも皇統を守った。孝明天皇はその功績を讃え、嘉永4年(1851年)、和気清麻呂に護王大明神の神号と正一位という最高位の神階を授けた。明治7年(1874年)、護王善神堂を神社として護王神社に改称し、別格官幣社に列格した。明治19年(1886年)、明治天皇の勅命により京都御所蛤御門前の中院家邸宅跡(現在地)に遷座した。
大正4年(1915年)、大正天皇の即位の際に広虫が合祀された。広虫が孤児救済事業で知られることから、当社は子育明神と呼ばれるようになった。
[編集] 護王神社と猪
和気清麻呂が宇佐へ配流の際に、道鏡から送り込まれた刺客に襲われたのを、突如現われた300頭の猪によって難事を救われたとの伝説から、明治23年(1890年)から狛犬の代わりに「狛猪」が置かれており、「いのしし神社」の俗称もある。そのため亥年の参拝者は例年よりも増加する傾向がある。境内には狛猪のほかにも多くの猪に因むものがある。また、日本銀行券としてかつて発行されていた10円券は、1890年から1945年まで発行されたものは一貫して和気清麻呂と護王神社が描かれたが、そのうち1890年に発行されたものは表面の枠模様の中に8頭の小さな猪が描かれ、さらに1899年に発行されたものは裏面に大きな猪が1頭描かれた。そのため10円札はその後1915年発行のものから猪が描かれなくなったあとも含めて長らく「いのしし」と俗称された。
[編集] 外部リンク
- 護王神社(公式サイト)
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