赤松政之
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赤松 政之(あかまつ まさゆき、生年不詳 - 天正10年(1582年)?)は赤松政元の五男という。兄に正満、政範、政直、政茂がいる。
[編集] 経歴
1577年、羽柴秀吉が播磨上月城に攻め寄せた時、兄・政範に味方した。 落城寸前の時、密かに兄たちの遺児を引き連れて落ち延びて、隠棲し山下影五郎と変名し、織田家を討とうとしたという。 のち、宇喜多直家に仕えるも、その死後は浪人となる。 再び打倒・織田家を目論み、播磨で挙兵を図ろうとするも本能寺の変が起こり状況は一変。仇敵・羽柴秀吉につき、山崎の合戦に出陣する。しかし、その直後重病で死去したという。またはそのまま生きながらえたともいわれる。なお、実在の人物かは不明である。