近藤紘一
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近藤 紘一(こんどう こういち、1940年11月27日 - 1986年1月27日)は日本のジャーナリスト。東京都出身。
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[編集] 経歴
1940年11月27日、東京都文京区本郷の東京大学病院で父台五郎、母信の第二子長男として生まれる。 1947年、神奈川県逗子町立久木小学校に入学。 1953年、逗子町立久木中学校に入学。5月、私立湘南学園中学に転校。 1959年、神奈川県立湘南高等学校卒業、 1963年、早稲田大学第一文学部仏文科を首席で卒業。
卒業後サンケイ新聞社(今の産経新聞社)入社。静岡支局勤務。1964年大学の同級生で元駐仏大使萩原徹の長女浩子と結婚。1967年 - 1969年フランス留学、同時に欧州移動特派員も兼務。1970年二月三日浩子夫人と死別。
1971年 - 1974年サイゴン(現ホーチミン市)支局長。1972年ベトナム人のブイ・チ・ナウと再婚。夫人の娘であるミーユンを自分の娘として同時に引き取る。
1975年3月25日から同年5月23日、臨時特派員としてサイゴンへ再び派遣され、南ベトナム(ベトナム共和国)無条件降伏、サイゴン陥落を経験する。
1976年夕刊フジに出向。復社後、1978年 - 1983年バンコク支局長。その後、国際報道部次長、編集委員。
1986年1月27日東京都港区虎の門病院で胃癌のため死去。享年45。葬儀の送辞は故司馬遼太郎が読んだ。
[編集] 受賞歴
- 1979年 - 第10回 大宅壮一ノンフィクション賞
- 1980年 - ボーン・上田記念国際記者賞
- 1984年 - 第10回 中央公論新人賞
[編集] 著作一覧
- サイゴンから来た妻と娘 (ISBN 4167269015)
- バンコクの妻と娘 (ISBN 4167269023)
- サイゴンのいちばん長い日 (ISBN 4167269031)
- 戦火と混迷の日々―悲劇のインドシナ (ISBN 416726904X)
- したたかな敗者たち (ISBN 4167269058)
- 国際報道の現場から(共著) (ISBN 4121007301)
- パリへ行った妻と娘 (ISBN 4167269066)
- 妻と娘の国に行った特派員 (ISBN 4167269074)
- 仏陀を買う (ISBN 412001505X)
- 目撃者―「近藤紘一全軌跡1971~1986」より (ISBN 4167269082)
- 野望の街 ハロルド・ロビンス著、近藤紘一訳
- 統一ベトナムとインドシナ 教育社
[編集] 人物
- ナウと近藤はフランス語らしいもので会話をしていた。
- 近藤は何度か転勤などで住まいを変えたが、その住まいには必ず前妻の浩子の遺影が飾られていた。
- ベトナムから妻を連れて帰国した後に、南ベトナム大使館の職員の世話で港区麻布台に住まいをかまえる。その後、家賃が大変だったそうで、結局、渋谷に引っ越すことになった。タイから帰国後は麻布十番の二の橋近くのマンションに住んでいた。
- 親友には元NHKアナウンサーの吉川精一がいる。彼の著作の『月曜日のカーネーション』の中で近藤の死についてふれられている。
- 現在、ベトナムから来た妻と娘のナウとミーユンはパリ在住。ミーユンは、『パリへ行った妻と娘』に登場するフランス人男性と結婚し、男の子を1人もうけている。
- 既に絶版になっているがナウの著作『アオザイ女房』がある。
- 近藤の父、近藤台五郎は東京大学医学部の著名な内科の教授で、ファイバースコープの開発にも貢献した。
カテゴリ: 日本のジャーナリスト | 日本のノンフィクション作家 | 東京都出身の人物 | 1940年生 | 1986年没