近衛十四郎
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
近衛 十四郎(このえ じゅうしろう、1914年4月10日 - 1977年5月24日)は、戦前から戦後にかけて活躍した時代劇俳優。通常より長い刀を使用し、かつ随一といわれる速い剣捌きで迫力ある殺陣を演じ、時代劇ファンを魅了した。
[編集] 来歴・人物
新潟県長岡市生まれ。 本名、目黒寅彦(めぐろ・とらひこ)。松方弘樹(長男)、目黒祐樹(次男)と二人の息子がともに俳優となったことでも知られる。なお、芸名の十四郎は1914年に生まれたことから。
市川右太衛門プロダクションに研究生として入団し、日活を経て亜細亜映画『叫ぶ荒神山』で主役デビューを飾る。 その後、第一映画社から大都映画社に移って主演。剣劇スターとしての名声を打ち立てる。1942年7月23日、長男・弘樹誕生。
しかし、同年戦時映画社統合によって大都映画社は日活、新興とともに合併され大映となったことにより、多くの俳優が仕事を失うなか近衛は一座を結成して国内各地を興行して回った。徴兵を受けたあげくにシベリア抑留の憂き目にあったが1946年に復員し、実演を再開する。翌1947年8月15日、次男・祐樹誕生。
1953年、新東宝で映画界に復帰後、翌年松竹入り、時代劇で主演。
1960年東映入り。白黒作品ばかりとはいえ東映でも主演スターとなる。同年、長男・弘樹も東映で主演デビュー。『柳生武芸帳』シリーズ(1961年~1963年)で主役の柳生十兵衛を演じる。1965年より映画では脇に回り1971年まで活躍。剣戟スターとしては器用ではないが異様な迫力が人気を呼んだ。ある意味でハード・ボイルドな世界を時代劇に持ち込んだ人物といえる。
1965年にテレビ時代劇『素浪人・月影兵庫』に主演し、近衛の鬼気迫る立ち回りに加えて品川隆二演ずる焼津の半次とのコミカルな掛け合いが茶の間の大ヒットを呼ぶ。素浪人シリーズは高視聴率のとれる人気番組として、以降1969年『花山大吉』、1973年『天下太平』とつづいたが、近衛の糖尿病が悪化し、1973年に次男・祐樹と共演した『いただき勘兵衛旅を行く』を最後に事実上引退状態となり晩年は各種の会社経営者として”余生”を送った。
1977年5月24日、63歳で死去。
近衛の孫たちは俳優やタレントになった者が多く、長男の弘樹は歌舞伎俳優・岩井半四郎の娘(次女)で女優の仁科亜季子を妻に迎え、孫の仁科克基、仁科仁美をもうけた(その後1998年に離婚。なお、長男・弘樹と前妻との間に目黒大樹(克基、仁美の異母兄弟))がいる。次男の祐樹は仁科とおなじ女優の江夏夕子を妻とし、長女の目黒ゆかこをもうけた。なお、岩井半四郎の長女・岩井友見や三女・仁科幸子は縁戚にあたる。