逢坂の関
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逢坂の関(おうさかのせき)は、山城国と、近江国の国境となっていた関所。 逢坂は、相坂・合坂などとも書く。 646年に置かれ、795年に廃絶され、857年に再び設置されたと言われている。
東海道・東山道(のちの中山道)の二つが、逢坂の関を越える。 そのため、交通の要となる重要な関であった。 その重要性は、平安時代中期以後(810年?)には、「三関」の一つとなったことからもみてとれる。残り二関は、美濃の不破の関、伊勢の鈴鹿の関である。ちなみに、平安前期までは、逢坂の関ではなく、越前の愛発の関が、三関の一つであった。
滋賀県大津市大谷町の国道1号線沿いに、逢坂山関址がある。ただし、この石碑は、昭和に入ってから建てられたもの。逢坂の関が実際にあった場所は、少し違うようで、いくつかの説がある。
百人一首でも二つの歌で詠まれている。