道徳
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現在の教科としての「道徳」については道徳教育を参照。
道徳(どうとく)や倫理(りんり) 、あるいはモラルとは、社会や共同体において習慣の中から生まれ、通用するようになった規範のことである。法律などの規則とは意味合いが異なる。社会的習慣や礼儀・作法もその範疇にあるとされ、自然発生的な教えが多く、明確な定義はない。道徳や倫理について分析し、考察をおこなう学問分野を倫理学という。
地域・時代に応じて異なり、社会的影響を受け変化する場合がある。また、多くの宗教の教えと重なる部分が多い。異なる社会や共同体では異なる倫理・道徳があることは当然であり、普遍的倫理や普遍的道徳といったものは存在しない。このことを忘れると集団的エゴイズムに陥ることになる。
「道徳を守ることは、正しいのである」と広く考えられているため、政治的に利用されやすい。為政者に都合の良い教えを道徳とし、社会的な規範とすることで人民を容易に拘束できるため、封建社会などでは領民を精神面で押さえつけることに利用された。また、近代以前の社会(特に東洋)においては法律と道徳の未分化状態が長く続いていた。
[編集] 日本の道徳
日本の道徳は、江戸時代には儒教のひとつ朱子学を中心に仏教や神道などの影響を強く受けて形成された。侍には武士道、商人には、商道など、身分に分かれてそれぞれ道徳が形成されていた。武士道では、「上を敬い、下を導く」と言った上下関係を重んじる傾向が強く、君に忠、親に孝を説く儒教道徳を基本とし、「努力」「忍耐」と言った内向的性格を美徳としている。明治以降、文明開化とともに、西洋の価値観が移入され、道徳も変容した。なお、明治政府が統一国家としての共有道徳を創生しようとし、天皇制を支柱に伝統的な道徳を再構築したものが教育勅語であったが、これは終戦とともに廃止される。
現在に於いても、無意識に伝統道徳にしたがって行動していると考えられており、日本人の倫理観を形成している。
日本型管理社会の形成の要因は、この道徳によるところが大きい。
英米の道徳観は、これとはかなり異なる。道徳観は、それぞれの国の文化、宗教、習俗習慣により、かなりの違いがある。
また、現在の学校教育における「道徳」の前身となるものに「修身」がある。