遠山友忠
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
遠山 友忠(とおやま ともただ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。美濃国恵那郡苗木城主。
|
||||
時代 | 戦国時代、安土桃山時代 | |||
生誕 | 享禄4年(1531年) | |||
死没 | 不明 | |||
別名 | 久兵衛(通称) | |||
氏族 | 遠山氏(苗木遠山家) | |||
父母 | 父:遠山友勝 | |||
子 | 遠山友政、友信、友重、遠山夫人? |
享禄4年(1531年)、遠山友勝の子として生まれる。父の後を継いで飯羽間城主、後に苗木城主となる。この間、阿照城主を経る。室は織田信長の妹。信長に従い、元亀3年(1572年)に武田信玄が西上を開始すると、その命令で東美濃に侵攻してきた秋山信友(晴近)と戦っている(上村合戦)。本家筋の岩村遠山氏が武田氏に降伏したのちも織田氏方に留まり、のちに岩村遠山氏が秋山信友が滅ぼされると、織田家重臣の河尻秀隆の指揮下に加えられた。
信長没後の天正11年(1583年)、美濃金山城主・森長可と東美濃の覇権をめぐって争い、敗北して子の友政と共に徳川家康を頼って落ち延びた。以後は家康の家臣である菅沼定利のもとに身を寄せ、そのまま死去。