遠藤丈庵
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
遠藤丈庵(えんどうじょうあん、天保7年(1836年) - 没年不詳)は壬生浪士組結成時メンバー24人の一人。生年は、1834年、1839年とも。
武蔵国忍藩出身の浪人で、清河八郎ら上洛浪士に加盟。文久3年(1863年)3月、芹沢鴨、近藤勇らと京都残留を決める。
結成後は、芹沢一派(新見錦、佐伯又三郎など6名)や試衛館一派(近藤勇を中心とした勢力。土方歳三など9名)には属さず、殿内、家里一派(根岸友山、清水吾一など9名)に属した。しかし、殿内義雄の暗殺や家里次郎の切腹などで、隊内に居づらくなった根岸、遠藤、清水、鈴木長蔵は同月下旬に江戸へ帰東した。帰東後は新徴組に入隊したが、9月12日に総員小普請方伊賀者次席に召抱えられたため脱退。その後の消息は不明。
カテゴリ: 幕末徳川側人物 | 1836年生 | 日本の歴史関連のスタブ項目