里見義俊
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里見義俊(さとみ よしとし、生年不詳 - 1170年)は平安時代から鎌倉時代にかけての武将。通称は(大新田)太郎という。
また、新田荘内の高林郷(竹林とも)を領し、新田高林太郎とも呼ばれていた。子に里見義成。
[編集] 概要
- 里見氏の開祖。新田義重(源義家の孫)の長男(または次男とも)。
- 彼は長男だったが、妾腹のために家督を嫡出の異母弟の新田義兼(次郎か小太郎)に譲り、分家したと言う。
- 久寿元年~2年(1154年~1155年)頃上野国碓氷郡里見郷(現在の群馬県高崎市)に居を構えたことから里見氏を名乗る。事績などは不明。里見氏に伝わる家系図にその名が見える。
- 群馬県高崎市天台宗里見山光明寺に葬られている。
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