里見義成
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
里見 義成(さとみ よしなり、保元2年(1157年) - 文暦元年11月28日(1234年12月20日))は、平安時代末期から鎌倉時代にかけての上野国の武士。新田義重の庶長子であった里見義俊(里見氏の祖)の子。
1180年、源頼朝が挙兵をして東国を平定した際に義重ら新田氏一門は傍観の姿勢を崩さなかった。京都にいた義成は頼朝に従う決意をして、「祖父とともに頼朝を討つ為、上野に帰る」と偽って京都を脱出して鎌倉に馳せ参じて頼朝に忠誠を誓った。
このため、鎌倉幕府成立後、新田一族が冷遇される中で義成だけは頼朝から重用されてという。
カテゴリ: 日本の歴史関連のスタブ項目 | 人物関連のスタブ項目 | 里見氏 | 平安時代の武士 | 鎌倉時代の武士 | 1157年生 | 1234年没