金石文
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金石文(きんせきぶん)は、金属(刀剣など)や石(石碑・墓碑など)などに刻まれた文章のこと。土器や甲骨などの類に刻まれたものを含む場合もある。
ここでは主として記念性、永遠性を持った碑文、銘文などについて述べる。ここでは、碑文(ひぶん)は石碑に記した文、銘文(めいぶん)はそれ以外の金石に記した文と考えて用いる。
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[編集] 概要
中国では、秦・漢時代以降には、ある事件の記録を後世に残すために記した文を「銘」といい、そして、銘を刻むために「碑」を建てるようになった。このように碑文・銘文は、堅牢な金属や石に刻まれたのである。それに、碑文・銘文は一定の様式を持ち、また技巧がこらされた。
日本では、古くは、福岡県の糸島半島から出土した「漢の倭の奴の国王」(漢委奴国王)の金印、天理市石上神宮に伝わる七支刀など、中国や朝鮮から下賜、または贈与された遺品がある。また、日本で製作されたものとして、和歌山県隅田八幡宮所蔵の人物画像鏡、千葉県市原市の稲荷台一号古墳出土の鉄剣、埼玉県稲荷山古墳出土の金象嵌の鉄剣銘文、さらに、熊本県江田船山古墳出土の銀象嵌の鉄刀などが知られている。他に日本三古碑と呼ばれる上野国(群馬県)多胡碑、下野国(栃木県)那須国造碑、陸奥国(宮城県)多賀城碑などが著名である。
これら以降には、仏教文化、大陸文化が受容され、普及し、多くの金石文が造られるた。それらには、碑、墓誌銘、造造銘、鐘銘、器物銘などがある。
[編集] 造像銘
[編集] 墓誌銘
[編集] 関連項目
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