金鶏学院
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金鶏学院(きんけいがくいん)は、陽明学者の安岡正篤が1926年(大正15年)4月に開いた私塾である。正しくは「金雞学院」(「雞」は「鶏」の異体字)。右翼団体、愛国団体に分類される。
[編集] 概要
東京市小石川区原町(当時)の、伯爵酒井忠正邸内の金鶏園に創立した。「金鶏」の名は、源義家に関する言い伝えによる。東北遠征の途上、同地に野営した義家の夢枕に黄金の鶏が現れ、夜明けを告げた。義家はこれを吉兆として、勇んで北上したという。
酒井が院長、安岡が学監を務めた。1927年(昭和2年)、「財団法人金鶏学院」となった。松下村塾・藤田東湖の塾の再現を期し、権藤成卿らが儒教や国体、制度学の講義を行った。目前の実行、日常生活の闘争を主旨とせず、精神教化の結果が日本改造の原動力となることを期してその指導者の育成に努めた。このような時代の悪化を精神的浄化によって救済しようとするこの学院の方針は、近衛文麿、結城豊太郎ら政財界の重要人物から広い支持を得た。吉田茂は同学院の顧問であった。事業は順調に進み、そのあまりの順調ぶりに実行団体からは貴族的だとの非難も発せられた。 この延長には茨城県の日本農士学校があった。校長は安岡が勤め、農本教育に論語を加味した教導を行った。
聴講生は軍人、官僚、華族が中心であったが、中でも陸軍将校が特に多く、統制派として台頭した。また、井上日召や四元義隆といった、のちの血盟団の構成員も含まれていた。卒業生には宮澤内閣改造内閣で環境庁長官を務めた林大幹らがいる。
終戦後、GHQの指令により解散した。
[編集] 関連書籍
- 亀井俊郎『金雞学院の風景』 邑心文庫、2003年、ISBN 4946486305
- ※著者は安岡の高弟・亀井一雄の息子
- 安岡正篤『幕末と志士道』 金雞学院(金雞文藪)、1935年(ISBNコードなし)
- 「愛国団体一覧表」出版地・出版者・出版年未記載。ガリ版。90頁。24cm。オックスフォード大学ボドリアン図書館所蔵。
[編集] 関連項目
- 日本農士学校